「考えすぎ」に見える人に向かって、「考えすぎだよ」なんて言うべきではない

 先日、2年ぶりくらいに会った友人Aと久しぶりで会ったとき、深夜のファミレスで言われた—「考えすぎだよ〜」と。けっこう久しぶりに言われたような気がする。

 この場合の「考えすぎ」というのはつまり、「夫は浮気しているのではないか」とか「わたしはあの人に嫌われているのではないか」とかと疑心暗鬼になっているような様子に対しての「強迫観念」「被害妄想」みたいなニュアンスではなくて、ある人が悩んでいるとか、行き詰っているとかいうように見える場合に対しての、いわば「頭でっかち」というニュアンスのある「考えすぎ」である。

 彼女は悪気があってこのフレーズを口にしたわけではなかった。というか、映画友達だった彼女とその日もナイトショーを観た後のことであって、このフレーズが出てきたときはすでに午前4時くらいだったため、彼女は元気だけど同時に、睡魔と奮闘していた。「頭回んなくなってきた!」と1、2度言ったりもしていたわけで、要は聞く気がないのではなく、聞きたくても聞けない状態という感じであり、このときの「考えすぎだよー」は「わたしもうギブ」という意味合いだった。

 だからおれとしては気分を害するということもなかったのだけど、同時に、友人Aはどちらかというと思考するタイプというより、アクティブな人間、身体を動かすほうが好きなタイプの人間であるということもあって、ちょっと気になったことがあった。ファミレスから出て冷たい外気に触れた瞬間「眠気ぶっとんじゃった!」らしい彼女にその点を確認してみた。「ところで考えすぎだって思うような友達、おれ以外にいる?」「うーん、どうだろう、あんまいないかなぁ・・・」ということだった。ただまあ、言った―「もし考えすぎに見える人に出くわしたら、その人に向かって考えすぎだよ、なんて言っちゃダメだよ」。


 まず、はっきり言っておこう。以前しばしば言われる側にいたおれの実感からすると、「考えすぎ」に見える相手に対する「考えすぎだよ」というフレーズは、ほとんど言葉の暴力である。「何か言ってあげなくちゃ」「力になってあげなくちゃ」という善意からにしろ、「面倒くさッ」「つまんねえ話」という鬱陶しさからにしろ、関係ない。言ってはならない。

 言われた側は、傷つく。悲しくなる。やるせなくなる。あるいは、腹が立つ。なぜなら「考えすぎだよ」というフレーズは、相手のそれまでの思考やもの思いをたった一言で、容赦なくハショり、遠まわしに否定してしまうようなものだからである。たとえ口にした側にそんな気はなくとも(ちなみに先の友人Aも、仕事のことについては実はやや考え込むタイプらしく、「たしかに腹立つかも」と言っていた)。

 何より、ここで言う「考えすぎ」に見える人がその考えなり悩みなりを吐露したときというのはすでに、程度の差はあれ、追い込まれている場合が少なくない。「考えすぎだよ」という一言には「なんでもいいから行動してみなよ」という意味合いもしばしばあると思うけれど、「自分は考えすぎなのかもしれない」ということくらい「考えすぎ」に見える人は思い及んでいるものであってそれでも「考えてしまう」ということなのであって、この言葉は解決に導くどころか、むしろ、さらに相手を追い込む格好になると思ったほうがいい。

 もう1つ、言うまでもないことかもしれないけれど、念のため一言しておくと…「考える」と「悩む」は似て非なるものである。「どういうことなのかわからない」「どうしたらいいのかわからない」のちがい。強いて言えば、「考える」は理性・頭の働き、「悩む」はむしろ、感情の働きだと思う。2つの言葉を言い換えてみるとそれぞれ、「考える」は「思考する」とできる一方で、「悩む」は「打ち沈んでいる」「鬱屈としている」というふうになる―「考えすぎだよ」というフレーズは「悩みすぎだよ」というニュアンス。

 さて、とくに大学に入りたての時期におれはよく言われた、「考えすぎだよ」と。「そんなこと考えてて楽しい?」と言われたことも少なくない。そうして思ったものだった、誰も聞いてくれないんだな、こんな話など。あるいは—たぶん、おれの話し方がわるいんだろう。というより、言葉が不十分なんだろう。そもそも自分で思っているほどには大した話じゃないのだろう―ともかく、訊かれない限り、ないし必要に迫られたとき以外は、自分から自分の考えていることを話すということはあまりしなくなった。

 それ自体は数年前の話であって、ちゃんと話を聞いてくれる人、聞き上手な人もなかにはいるものだということは、今ではわかる。ちなみにこういう人たちは「考えすぎだよ」と(思ってはいても)口にしない。

 また、おそらく当時のおれのようになってしまった結果、溜めこむ一方になってしまったり自力で脱け出しがたくなったり、もしくは自分が悩んでいる・考え込んでいることを(強がってではなく)どこか恥じていて口にしたがらない、というような人にも、少なからず出くわしてきた。「考えすぎ」に見える人が何かを話し出すときはというのはたいてい、「相談しよう」と思ってではなく、ポロッとそれまでの話の流れから出てくることが多い。

 現在のおれはというと、どちらかといえば、相談に乗る側にいることが多い。ただし決して聞き上手だとは思えない(ひとつ考えられる理由は後述)。むしろおれの場合、「何か言ってあげなきゃ」という善意からよりも、話を聞いていると「言わずにはいられない」となって何かを口にすることがふつうである。とはいえ、やたらにこちらの意見をぶつけてたところでさして意味はなく、ではこういう場合どうしたら相手と「対話」できるのだろうかと、ときたま、考えてきた。


 ということで以下は、自分の過去の実感と、聞き上手な人または「考えすぎ」に見える人の観察も参考にひねり出した個人的な、方法論的雑感です。これはおまけみたいなものです。かつまた、半熟ものです。ただ、久しぶりに例のフレーズを言われてちょっと書いておきたくなった。 

 
 まず、何かを言うにしても、話を聞いてからでないと何も言えない…言ってはならないと思う。「話を聞く」こと―これは当たり前な話だけれど、大前提である。聞き上手な人というのは相手を急かさない。ひとまず相手の話が一区切りつくまで、耳を傾けつづける。

 しかしこれ、「言うは安し行なうは難し」なのだ・・・「考えすぎ」に見える人の話というのは混乱、錯綜していたり、同じようなことを繰り返し口にしたり、あるいは、その口調はあまりはっきりしているとはいかず、ときに舌足らずな、ときに歯切れの悪いものである。要は何が言いたいのかわからなかったり、話が冗長だったりして、要領を得ない。ただしここで留意すべき点は、「考えすぎだよ」というフレーズはこのような様子を「単純化した印象」にすぎないということ。

 この点、よく言うように、書いたり話したりすると(アウトプットすると)考えがまとめられる・すっきりするということがあるものだけど、「話(相談事や悩み)というのは聞いてあげるだけでも十分」というのはこのへんの作用・効果のことも指しているのだろう。話し手自身、まだまとまっていない思考・思いをこちらにわかるようにと整理しながら話している。自分が何を言いたいのか、実のところ自分でもよくわかっていないということはとくに、「考えすぎ」に見える人の場合は珍しくないように思う。それゆえか、一瀉千里に捲くし立てるなんてことはまあ、そうそうない。

 裏を返すと、実はこれは、聞き手としては幸いなことでもある。こちらはこちらで急かされることなく整理しながら聞くことができるから。おれの場合、このとき―とはつまり、話を聞いているとき―相手の話を頭のなかでできるだけ整理しながら聞くように努める。というよりむしろ、相手の話をこちらでも整理しようと思うと、自ずと話を聞く姿勢になるらしい(思えばこれは、本を読んだり映画を観たりするときの姿勢にちかいかもしれない)。

 で、聞き上手な人というのはあいづちを入れるとか目を見て話を聞くとかよく言われるけれど、観察していて個人的になるほどと思ったのは、いわば「合いの手」の入れ方―相手の話が淀んだり止まったりしたようなときに、「これこれと思ったのはどうして?」とか「それはつまり、これこれということだよね」とかと、相手の話の流れを汲み取ったうえで、さりげなく一言挟む。これがときに、がんじがらめになっていた話し手の思考のひょっと解けるきっかけになるときがけっこうあるように思う。

 整理しながら聞いていると、「合いの手」的一言が出てきたりする(おれの場合は、相手の思考のお手伝いをしよう・促がそうというよりは単にこちらが腑に落ちなかったり、ちょっとわからなかったりしたことを口にしたら、ときにそれが期せずして「合いの手」みたいになっている、と言った方が正しかったりするかもしれないのだけど)。

 あるいは、これは「考えすぎだよ」と言われていたときの実感でもあるのだけど、「考えすぎだよ」と言うくらいなら、話し手の考えと真っ向から衝突するような意見を言うほうが断然いいと思う。言われたときはたしかに、反発心が起きたりする。反射的に「でも〜」と言ってしまったりと。けれども少し時間が経って落ち着いてふと考えてみれば、なんというか言われたことが、自分に効いていることがわかってくる。要はべつの価値基準を放り込まれたようなものなのでこれも、結果的に、絡まった思考が解ける作用を及ぼすことがあるらしい。

 ひいては「考えすぎ」に見える人の話を聞いているとき、その場で解決できるとは期待しないほうがよい。思考や価値観、意見、もしくは態度というのはそんな簡単に変わらないし、変えられるものでもない。もしその場で一変したかのように見えても、それは往々にして、その瞬間に至るまでに「思い悩んでいた時間の蓄積」があればこその結果だろう。

 「考えすぎ」に見える人の、出口のないように見える思考を解く、そのきっかけになるような「合いの手」的一言と、真っ向から対立する意見との共通点は何かといえば、「相手の思考の盲点を突く」ところではないか―べつの視点や角度から眺められることによって、「考えすぎ」に見える人が囚われている固定観念や思い込み、勘違い、論理の穴ないし飛躍、原因と結果が逆さまになっていることや、もしくは問題にすべきところがズレていることなど、知らず知らずに通り過ぎてしまっている「悩みループの出口」に気づかせてくれることだと思う。

 この点、最近のおれは聞き役に回ることが多いというのは聞き上手によるものではないと、先に述べたけれど、話し相手に選ばれるわけにはひとつ、おれがフリーターであることが関わっているように思う。「自分とはちがう生き方をしている人の話を聞きたい」という気持ちが、無意識だったとしても、どこかにあるのではないかなと。それはちがう視点によって自分の気づいていない点に気づけるかもしれない、「自分の思考の盲点を突いて」くれるかもしれない、という期待が隠れているのかもしれないと思う。


 ―というわけで1つ、「悩みループの出口」とはどういうものなのか、比較的わかりやすい実際にあった例を出しておきます。

 ある日、夜中だったが、電話をかけてきたのは大学時代の友人Bだった。彼女は某大学の附属中高一貫校に通い、そのまま某大に進学し、就活も無事に終えて、某食品メーカーに就職した。電話をもらったときは入社した年であり、7月頃だった。はじめのほうはふつうに、久しぶりぃ、元気?、いま何してんの?と他愛のない話をしていたけれど、たぶん何か悩んでることでもあるのだろうと思っていたところ、実際「もう、(仕事)辞めたい」とのことだった。話を聞いた限り以下のような具合だった。

 曰く「仕事は少しは慣れてきたかな・・・?って感じかな」「朝から晩まで働きづめで疲れるよ」「職場の人は嫌いじゃないけれど、なんだか社風がすごくて、上司は皆それに染まってるというか、なんだかヤだなと思っていたのに、こないだふと気づいたら自分もそれに染まっている兆候があって、ゾッとした」「恐いと思った」「1日中仕事しかしてなくて、なんか自分何してんだろう?って思う」「べつに好きな職種というわけでもないし、というかあまり好きじゃないし」「でも自分が何をしたいかっていうと全然わかんないし、考える暇もないというか」「楽しくない」「気が滅入る」

 おおよそ、このようなことを口にしたのだった。これは前述した方法論的雑感を意識して、つまり「聞きながら整理してときどき一言挟む」ということをやって出てきたもので、ちなみに、ここまでくるのにはこの話題になってからだいたい40〜50分ほどかかった―ここに並べた彼女の言を聴いて(読んで)、どう思うだろうか?なんて声をかけるだろうか?

 よくある話なのかもしれない。実際おれ自身、「そういうのってある程度、予想できたことなのではないの?」とか「辞めたいって言っても、ちょっと早くない?」とかと、まず思ったのが正直なところだった。しかしたぶん、本人もそのくらいことは思い及んでいるだろうと思い、ひとまず一般論的感想は控えた。付言しておくと、最後の「もう辞めたい」のときは電話の向こうから嗚咽と洟をすする音が聞こえてきておれはちょっと焦っていた。

 たしかによくある話かもしれない。しかしそれはそれとして、泣くほど追い詰められているらしい状況のほうが重大事だ。と思ったおれはその原因は何だろうかとひとまず、気になった「社風に染まる恐怖」とはどういう感覚なのかという点から探りを入れた。これはどうやら、「ファシズムに染まる」というと大袈裟だけど、だいたいそういう感覚ないし恐怖かと思われた。あるいは「新しい環境が云々」言ってみたりしたものの・・・なんかちがうよね、これ?みたいな感じが自分でも拭えなかった。この時点でのおれは相手が泣いたことに焦ってしまい、とにかく何か言ってやらなければと気が急いていたのだった。

 しかし空振り感が2・3回あったため、電話だったこともあってとりあえず持論(一般論に限りなくちかいけれど)―「いま辞めるのは早すぎる」という話をしながら様子を見つつ(この話自体も真面目な意見なのだが自分の中でややテンプレ化の気味があるため、他のことに比べ頭を使わなくてもある程度口をついて出てくる話でもあるのです)、「彼女の置かれている状況」をあらためて検討することにしたのだった。*1

 そして話しつつ、途中であることに思い至った。「問題は彼女を追い詰めたものは何か」という点を考えるに、おそらくそれは、社風でも仕事の忙しさでも、職種と彼女との相性でもない・・・これらも無関係とは言えないだろうがわかりやすい分だけむしろ後付け的に原因に思えるだけであって、実際には直接的ではないのでは・・・?と、一旦「友人B」という人間を俯瞰的に眺めたとき、先に何気なく口にした「新しい環境」―もしかして、彼女がいま置かれている「新しい環境」とおれが想定しているそれとのあいだには微妙にズレがあるかもしれないと、ふと思ったのだった。

 理由は、彼女の学歴である。

 友人Bは中学から大学まで一貫して「某大」という枠の中、環境に身を置いていた。まる1日が「これすべて赤の他人」という集団の中に放り込まれて連日過ごす、という経験をこれまで実はしてきていないかもしれない。いや実際には中学入学のときにあっただろうけれど、たぶんもう、忘れている。中学以降は一見すると「新しい環境」に見えても、大学入学のときでさえ、見知った人間が数人はいただろう。だからちょっとした不満や愚痴、冗談などを言える相手が周囲にいたに違いない。しかし今回はそういう存在が身近にいないため、ただ単に「だるいよね〜」と言うだけでも、相手はよく知らない人間だから探り探り、距離感を測りながら口にすることになっているのでは・・・少なくとも「気の置けない同僚」というのはまだいないのではないだろうか・・・とすると、この点における心労が、本人も気づかぬうちにモチベーションを下げているのでは・・・?

 この点を指摘してみたところ、彼女は驚いたのだった。どうやら自分でも気づいていなかったらしい。このとき彼女の声の調子が変わった。明るくなったというより、少し冷静になれたようだった―彼女にとっていまの職場は、同じ「新しい環境」でも、過去における「新しい環境」とは実は、全然ちがう「新しい環境」だったのである。その後10分ほど話したところ、この点が判明したことで少なくとも「いまは仕事を続ける」ということに意味を見出す取っ掛かりを得たようだった。

 この例からわかることはたとえば、一般論ではダメだということ。というよりも、一般論そのものは間違ってはいなくても、一般論の“まま”ではダメだということ。相手の人となりや経緯といったいわば「文脈」に落としてそれを解釈しなければならない。逆に言えば、そのように解釈してみると「悩みループの出口」を見つけ出せることがある。
  
 
 ということでこのエントリー、いつものごとく思ったより長くなったけれど・・・さておき、このエントリーで一番言いたかったことはともかく、タイトルの通りです。なので最後に、いま一度、繰り返しておきます。


 「考えすぎ」に見える人に向かって、「考えすぎだよ」なんて言うべきではない。

*1:ちなみに「辞めるの早すぎる」というのは、だいたいこんな論旨である―彼女は気持ちばかりが先立ってしまって、たとえばイタリア語やりたいから辞めてイタリア留学する、とか言うのならまだしも、そうではなくて辞めて何かべつのことをするにしても具体性がほぼ皆無なわけであって、つまり「この状況から脱け出す」ということが手段というより目的となっているような現時点で「辞める」のは実は、安易かつ楽かつ、また後に致命的なダメージを与えるかもしれない選択である。ここはひとつ落ち着いて、辞めるにしても、ある程度具体性なイメージを持てるようになるまで待ってみてはいかがか。それにフリーターであるおれの場合、何かしようにもまず先立つもの、要はお金を貯めるところから始めなくてはならなくてすぐに行動に移せず、いつもこの点が面倒くさい・・・忙しいだろうけれど、答えを出すことを焦らず少しづつ、これからどうするか考えてゆくのはむずかしいだろうか。たぶん、先のことをイメージできるようになった頃合いには、すんなり行動に移せるくらいのお金も貯まってると思うけども―

第3回:『熊から王へ』中沢新一

 
 野蛮とは実際のところ、何だろうか?それは外にあるのではなく、内にあるもの。

熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)

熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)

 もしかしたら他の人も一度触れてみるとよいのでは―と思うものがとりあえず、2つある。1つは進化。そしてもう1つが、神話。2つとも一般的には、誤解や偏見のためにそのイメージが本来意味するところとだいぶ異なってしまっているようで、たとえば「原発神話」という言い方があるけれど、神話が本当はどういうものなのかを知っているとこの使い方にはちょっと抵抗を覚えるというか、積極的には使えない…だって神話は子供騙しでも荒唐無稽でも、空理空論でもない。実際のところ、まったく逆なのである。

 やっぱり、神話はおもしろい!と、この本を読んでいて思った。一見すると単純素朴、あるいは意味フに思えるお話でも丁寧に読み解いてゆくと、そこには深遠な(またダイナミックな)知恵や意味が何層にも織り込まれていることがわかってくる。すると…うまい表現が思いつかないのだけど…ふつふつと湧いてくるものがあるというか、心の底のほうがふわっと開かれるというか。

神話について考えることは、たんなる学問的な興味や趣味の問題を超えて、じつに今日的な意味をもっている。

 かつて神話は、いわば「人生の教科書」ないし、人間は自然・宇宙とどう関わってゆくべきなのかを説き、伝える「指南書」のような機能を果たしてもいた。でも現代人が神話をふつうに読むか聞いたかしても、そのようなメッセージは読み取れない。聞き取れない。なぜなら、神話は象徴(メタファー)で紡がれた物語であり、アメリカの神話学者のキャンベル氏的に言うと、おれたちは神話を読むに必要な「象徴の文法」を忘れてしまったからである。ここにいたって誤解が生じ、現代では「神話」という言葉が「絵空事」の代名詞のごとく使われるようになってしまった―しかし神話は決して絵空事などではないと、キャンベル氏なら彼は、象徴の文法の代わりに、世界中の神話や伝承を並べて比較し、精神分析学や心理学を援用しつつ、神話の奥深さや魅力を引き出してみせた。中沢新一はというと、主に文化人類学(とくにレビィ・ストロースと折口信夫)をべースにして踏み込んでゆく。

 ちなみに、この『熊から王へ』は「カイエ・ソバージュ」という全5冊の講義録シリーズのうちの、第2巻のようである。思うところあってついでに第1巻の『人類最古の哲学』も読んでみたところ、こちらは神話の入門書して良い本だった(とりわけ、ミクマク・インディアンの「シンデレラ」の換骨奪胎ぶりは感動もの!)。キャンベル氏とモイヤーズ氏の対談集『神話の力』と、この2冊を読めば、きっと神話の魅力に鷲掴みされること請け合い。

人類最古の哲学 カイエ・ソバージュ(1) (講談社選書メチエ)

人類最古の哲学 カイエ・ソバージュ(1) (講談社選書メチエ)

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 『熊から王へ』もシリーズ2冊目とはいえ、1冊目を読んでいなくてもとくに支障なく読めたし、採りあげる神話をまるっと、もしくはできる限り引用・掲載しているのが良心的で、神話はなるたけ(本来は「読む」ではなく「聴く」ものではあるものの)「現物」に当ったほうがよいと個人的には思っているのでうれしかった。内容も刺激と示唆に富む。実におもしろかった―反面、この第2巻、「神話とはどういうものか」ということを説く以上に中沢新一の思想ないし理論の入門書みたいな感もあって、または神話云々より彼の“想い”が前景化してくることがしばしばある。この点、ちょいちょい気になるところがあったのも事実なのだけど、それについては後述します。

 中沢氏曰く、神話は「二元性にもとづく思考がおこなわれ、ものごとの“対称性”を実現すべく細心な調整がほどこされていた」「人類最古の哲学」なのだという―神話の二元性については中沢氏に限らず、いろいろな人が言っていることである。思うに、この二元性というのがまず神話を誤解させるところで、白黒はっきりさせていると思われがちなのかもしれないけれどそんな底の浅いものではなく、神話にはその先(ないし前提)があるのであって、根本的にはあらゆる境界や区別が消え去り同一化する領域がある、といった視野が含まれている。だから善と悪があったとして、しかしこの2つは絶対的というわけではなく、裏返る・入れ替わることがしばしば起こるといったことを認識したうえでの二元性なのだ。「文化」と「自然」というのも二元性の一例である。


 以下の引用は後半からのものなので口調があれですが、本書ではここで述べられていることを具体的に掘り下げてゆくようになっていた。

私たちはすでに、対称性社会の人々が、人間と熊のような動物との間には、まったく同等の関係がなりたっていて(なりたつべきであって)、たがいに結婚したり、兄弟・親子の関係を結ぶこともできると考えていたことを知っています。人間も熊になることがありますし、熊も人間に変身できます。このような表現をとおして、人間と動物には対称的な関係がなりたつべきであって、人間だけが圧倒的な優位に立って、動物たちの運命を好き勝手にしていいという道理はない、という思想が実現されたのです。

 人間は「文化」によって抑制のとれた生活を営むことができる一方、動植物たちには「自然」の力が具わっていると考えられていた。旧石器時代に神話を語っていた人々(狩猟採集民)はそれら自然の者たちを“野蛮”などとは思っておらず、なかでも「森の王者(首長)」である熊はむしろ、「自然の権力」の象徴だった―熊はもっとも怖れられ/畏れられたと同時に、人間に親しみのこもった友愛の気持ちをかきたてる動物でもあった(くまのプーさんやケアベアなどの人気の一因には旧石器時代の人間と通じるものがあるかもしれない)―かつて人間は、熊を通して自然や超越性について思考していた。

 「熊から王へ」というタイトルが意味するところを言い換えると、「国家(クニ)が生まれたとき、人間の意識にどのような変化が起きたのだろうか?」ということである。中沢氏曰く、神話を語っていた狩猟採集民は国家が誕生する条件が揃っていたにもかかわらず、半ば意識的にそれを回避していたのだという―インディアンたちはひとつの集団の中に複数のリーダーを立てていた。たとえば、首長とシャーマンに見られる位置づけ。首長はいわば理性によって部族の生活を整える「文化」の象徴、預言者だったり医者代わりでもあったりしたシャーマンは自然の力を引き出せる者として「自然」の象徴、という具合に。この2つを分けたていたのは、同居させてしまうとあるべき秩序が失われる、つまり「対称性が崩れる」と考えたためだったのだと。

 首長は王ではなかった。シャーマンと同じく自然の側のものとして戦士と秘密結社というのもあった。秘密結社ではたとえば、「人食い」の儀式が催されたりした。これは北西海岸インディアンのクワキウトゥル族の例が紹介されているけれど、つまり「夏のあいだは人間が動物たちを狩っているが、冬になると今度は人間が“食われる”側にならなければ釣り合いがとれない」という思想を1つの源にして生まれた「ハマツァ」のイニシエーションが行なわれていたという(ちなみにこの「食われる」という表現は後の時代にもよく見受けられる。たとえば赤ずきんちゃんとか旧約聖書のヨナとか)。

深淵と安全の間に、絶妙なバランスをつくりだすこと。首長と「人食い」たちを分離しておくこと。これこそが、対称性社会の抱いた最大の知恵であり、人間が国家を持った瞬間から、とりかえしのつかないかたちで失ってしまった知恵にほかなりません。

 首長とシャーマン(+戦士と秘密結社)が合体したところに、王が現れた。つまり熊に象徴される「自然の権力」までを我が物とした首長が王なのであり、ひいては国家(クニ)ないし文明が生まれることになった。「対称性」が崩れた。そしてこのとき、同時に文明はその根底に“野蛮”をセットすることになってしまったと…中沢氏は説く。

 10年ほど前に問題になった狂牛病。原因は飼料として与えられていた肉骨粉にあるのではないかと当時騒がれていたものだけど、牛や豚の内臓が小さく砕かれて骨と混ぜ合わされた肉骨粉を餌にするというのは、要は「共食い」させているようなもの。狩った動物の肉や内蔵をきれいに食し、残った骨や皮も丁寧に扱っていたアメリカ・インディアンやアイヌのような狩猟採集民からすれば、肉骨粉飼育とはとんでもなく野蛮な行為である。このような野蛮を食い止めることも「文化」の働きとしてあった。あるいは同時期の9.11はどうだろうか…テロという行為はたしかに野蛮だが、それに報復するというのも同じくらい野蛮とは言えないだろうか…?

現代社会というのものがじつに不思議ななりたちをしているのが、わかってきます。この社会は「野蛮」を自分の内部に組み込んだ、一種のハイブリッド・システムとして、機能しているために、さまざまなタイプの「野蛮」を除去できないばかりではなく、ひとたび危機的な状況がおこると、その責任を外の世界の、自分たちがよく理解できない相手に投げつけて、その相手のことを「野蛮」呼ばわりすることになります。

 つまり野蛮は、ハイデッカー風にいうと、人間が自然を「コミュニケーションの相手」としてではなく、「開発」のための対象物として見るようになってしまった(べつの言い方をすると「贈与の関係」ではなくなってしまった)ことに由来する―

 と、おおよそこのようなことが語られていた。ではどうしてゆくべきだろう…? 以上の概要からも窺えると思う中沢新一の主張には、とりたてて異論はない。氏の言うところの現代に見られる野蛮は個人的に、サトウキビや海藻を使ったバイオ燃料に抱くどことなく腑に落ちない感(エコだが、あれは言い換えると生物燃料?)や、あるいはペット産業に感じている気持ち悪さに通じるのかもしれない。「熊」をキーワードに神話に踏み込んでいく過程はスリリングでわくわくするし、たとえばアメリカ・インディアンの「結婚の哲学」なんていうのはいまだからこそ再考する価値のある「哲学」かもと思ったりした。あるいは、著者のロック歌手の連想なんかも興味深く、この連想からおれが連想したのはロックというか宇多田ヒカルだった。歌が、という意味でだけでなく、彼女、クマ好きみたいだし(パンダはちがうらしい)

 同時に、それはそれとして、前述したように気になる点がいくつか見受けられた。もっと言うと、なにか肩透かしをくらったような気がしたのである。「はじめに」で著者が述べているように、講義という形式にまつわる独特のケレンミ味がそう感じさせるのかもしれないと思ったし時節柄というのもあったかもしれない(この第2巻分の講義は9.11の直後だったらしい)。あるいは「良くも悪くも講義録(講義形式)」という感じだろうか…実際にその場で講義を聴くのなら質問できるわけだから、質問させたくさせるという意味では良い講義なのかもしれない。はたまた、先に触れたように『熊から王へ』は5冊のうちの1冊だから他の4冊(というか3冊か)で補填されているのかもしれない(あるいはたぶん、『熊から王へ』に見られる主張を前面に出しているのが『緑の資本論』なのではないかと推測される)。

 しかし、それでも、控えめに言っても、例証がちょっと恣意的ではないか。といって悪ければ、説得力に欠けるように思えてしかたなかった。だから氏の主張に対して異論はなくても、反面、それ以前のところになにか、信を置けないものがあった。


 もっとも違和があったのが何よりもタイトルに関わりのある点―「熊から王へ」と変化した瞬間についてである。たったの2行で済まされているのだ。「社会と宇宙のあいだにバランスをつくりだすこのような仕組みに、あるとき異変が生じたのでした。それはたぶん、臨海に達していた階層制をそなえた新石器社会のどこかでおこったはずです」―これはちょっとひどいと思う。

 ひどいと思ったのはたとえば、外的要因に触れずあっさり済ましてしまっている点である。たしかに中沢新一は、「意識」とか「心の働き」とか「思考」といったいわば内的プロセス、ないし倫理に焦点を当てているようだから、ここではひとまず無視してよいことなのかもしれない…などと思いかけたけれど、やっぱりちがう。中沢新一のなかでは前提として「“現代の”諸問題の原因は何だろうか」とか「この先どうしてゆくべきなのか」といった問題意識があり、講義にもそれが反映されているようなのに氏の話は、いわば「結果」のほうに偏りすぎではないだろうか。戦争をなくそうと言うとき、戦争の悲惨さや残虐さをクローズアップして「だからよくない」と言うのは容易なのだが、もし本気でなくしたいのであれば、過去の戦争が「どうして起きたのか」という「原因」のほうにも目を配らなければならないはず―「原因」に目を向ければ自ずと外的要因が無視できなくなるはずだと思う。

 かつまた、説明が「非対称的」である。たとえば氏は、「神話的思考」の出発は何によって引き起こされたのかという点についてわざわざ認知考古学の知見から、「現生人類の脳には、特化された機能をもった領域の間を自由に動いてゆくことのできる流動的知性を発生させるニューロンの新しい組織化がおこったことによって、いま私たちがもっているような象徴能力が獲得された」というように何度も言及する。つまり、この生物学的な原因により比喩や詩の能力を得るにおよび、他者に対して共感を抱けるようになったのだと―生物学的な原因って外的要因だと思うし、この点については、なにやら科学的。あの2行との落差はなんなんだ。

 あるいは見落としたのかと思い、この点を意識してざっと読み返してみると、「熊から王へ」と変化することになった外的要因にまったく触れていないというわけでもなかった。先の2行を含む章の前にあるべつの章では、たとえばアムール川の河口にいたウリチという民族の「シャチの女」という神話を用いて(この場合は)日本刀という「技術(テクノロジー)」の問題に言及されているし、「王の存在しない社会」が「王の統べる社会」という外的なストレスに遭遇したときの例としてはインディアンのジェロニモの話があったりする。だから、外的な要因に目を向けていないわけではない。ならば、というかだからこそ、先の2行のときにも推測されうる外的要因に少しくらい触れておいてもいいんじゃないの?

 話が前後するけれど、実は読み始めの時点ではまず、「なぜ、北方の(中沢氏的に言うと「東北」の)狩猟採集民に限定するのか」という点がひっかかった。狩猟採集民といえばアフリカ大陸にも多くいたし、オーストラリアのアボリニジニなんかもつい最近まで狩猟採集民だったことで有名なわけであって―と、この点については、「野性の思考」なり「神話的思考」なりを取り出せればよいのかなと思い、それは神話に登場する「熊」を見ればよいと、だからこそタイトルに「熊」を入れたということなのだろう(「熊」≒「北方」「狩猟民」と言える)とひとまず流したのだった…がしかし、この点についても、先の2行の直後にヤマタノオロチの神話が採りあげられたことで再浮上してしまった。

 ヤマタノオロチスサノオノミコト、あるいは草薙の剣の解釈はかなり興味深い。そんな読み方もできるかと驚いた。一方で、ヤマタノオロチの神話は舞台がいまの島根県である。またここには「朝鮮人の渡来」という「事件」が背景にあり、その影響が反映されているものと思われる。弥生人が現れたときって「製鉄(とか弥生土器)」と「稲作」という「技術」が到来したと言われているのではなかったっけ…つまり「狩猟採集民の縄文人」に対して、ここには「定住民である弥生人」という存在もあるわけであって、中沢新一は一応それまでは狩猟採集民の神話を根拠に話を展開していたのに、ヤマタノオロチの神話はその限定の枠をはみだしているのではないか?それならべつに、北方の(「東北」の)狩猟採集民に限定する必要はないのでは?と。

 ところで、このように外的要因にこだわってしまうのには、いま1つ理由がある。以前読んだ『銃・病原菌・鉄』という本の存在だ(つい最近文庫になった)。

 この本では「人類の歴史は地理的・環境的要因にいかに左右されてきたか(制限されてきたか)」という話が展開されている大著だが、そのはじめの方で文明の起こった原因を探る試みのなかで「国家をつくらなかったアメリカ・インディアン」にも触れられていた。中沢新一は「彼らは国家が成立するに十分な条件を備えていた」とは言うものの、具体的にその条件はどういうものなのか、ほとんど言及していないと言ってよい。たとえば「十分な食料があった」と言うけれどその「十分な食料」って、ひと冬分?1年分?数年分?あるいは何人分?といった点は示されない。『銃・病原菌・鉄』で著者のダイヤモンド氏は、地理的・環境的要因として、栽培化可能な野生種があったか、どのくらい(農耕したほうが結果的に狩猟より得になるくらい)あったのか、もしくは農業のはじまりの地は数えるほどしかないが農耕技術や栽培種が広まってゆく伝播のしやすさはどうだったのかetc.と、突っ込んでゆく。この点、説得力がやはりちがう。

 また、中沢氏は「狩猟採集民は王が誕生する一歩手間でターンしてみせた」と強調するけれど、実際それは決してウソじゃないだろうとは思うものの、『銃・病原菌・鉄』では実は、アメリカ・インディアンの祖先たちが南北アメリカ大陸にたどり着いたとちょうど同じ時期に、もともとそこに住んでいた大型哺乳類が軒並み絶滅したという考古学的な知見に基づく話が出てくる。どうやらこれはオーストラリア大陸でも同様らしい…中沢氏は、バイカル湖周辺を故郷とするモンゴロイドたちはいわば「熊の神話を携えて」べーリング地峡を越えていったと説くのだけど、ダイヤモンド氏の言を加味すると、「対称性」を具えていたはずの人々が大型哺乳類の狩りつくしてしまったのでは?(向こうは人間を知らないから逃げなくて、狩るのは楽だっただろう)という、なかなかグロテスクな推測もできなくはない。

 『銃・病原菌・鉄』にわざわざ触れたのは、『熊から王へ』の講義よりも1年ほど前には、すでに邦訳も出ていたからである。もちろん既刊だったからと言ってそんな短期間のあいだに「読んでおけよ!」などと居丈高には言えないが、中沢新一だったら、この本の存在くらい知っていたんじゃないかな?とは思う。『銃・病原菌・鉄』は朝日新聞の「ゼロ年代の50冊・ベスト1」だったくらいなのだから、少なくとも話題にはなっていたはずだろうと。同じ10年前にもすでにこのような知見があったという意味もあって、あえて言及した。

 ついでにもう1つだけ。中沢新一宮沢賢治の『氷河鼠の毛皮』という話をはじめのほうで紹介しつつ「賢治は神話的思考をもっていた」という話を展開するのだけど、どうせなら有名な『なめとこ山の熊』にも触れておけばいいのにと思った(というより、なぜ触れなかったのだろう?)。だってあれ、題名にあるように熊と、小十郎という名の熊撃ち(猟師)の話なのだから。熊は小十郎に問う―「お前は何のためにおれを殺すのだ」と。これを受けて小十郎も、『氷河鼠』の黄色いジーンズの上着を着た青年とほぼ同じことを口にするのだけど、しかし彼の場合は死んでしまう。

 
 ―などと、後半はやや噛みつくような調子になってしまったが、要は、神話の部分がおもしろい分だけ余計に、著者の思想的な部分(ないし叙述の様)が、押し付けがましくないわりにひっかかってしまった(「私たち」という人称を使われることも個人的にはちょっとうるさい)。先の2行はやっぱりおざなりにすぎると思う。ひいては、なんだか端々に、自分の理論なり考えなりに都合のよいところだけピックアップしてきた「牽強付会」という印象を受けてしまう。

 『熊から王へ』は「神話学の講義」というよりもむしろ、神話の「中沢新一的応用編」という向きがあるように思う。実際のところ先のキャンベル氏の『千の顔をもつ英雄』のときも、たとえば精神分析学、とくにユングのそれを無邪気と思えるほど信頼している氏の様子にツッコミを入れたくなったりいろいろと疑問が出てきたものである。しかし、あの本の場合はそれが好奇心や興味を掻き立てるような疑問だった。一方、『熊から王へ』についてのそれは中沢新一に対する警戒心・不信感を催してしまうものだった。

 あと3冊も読んでみたい気持ちはあるけれど、2冊目でこれだと思うと同時に、ためらわれるというか…ちょっと悩みどころ。


「微分型」と「積分型」と/おさらいの妙味 『おとなの楽習』(理科)

 最近、自分のなかにある(ないし自分を乗っけていたらしい)“流れ”とでも呼ぶべきものが何か変化してきたような、というより、べつの流れが発生、勢いを増してきたような気がする・・・最近と言っても実は、河出の世界文学全集を読み終わったあたりに(つまりおよそ半年ほど前から)感じはじめていたことのなのだけど。

 ここ5・6年ほど(高2年の半ばあたりからこれまでの)あいだひたすら続いていた“流れ”がふと、1タームおわりつつある、みたいな感覚を抱いたのだった。なぜなのかはわからない。なんとなく、そう感じるものがあった。それで、ところでこの間に自分は何をしていたのだろうか?(求めていたのだろうか?)と、この機にざっくりと振り返ってみたところ―自分のベクトルは端的に言えば、「とにかく外へ」「向こう側へ」というものだったように思われた。言い方を変えると、どうも「破壊」しつづけていたらしい。つまり、自分の視野を拡げようとする方向にひたすら努めてきたようなものだった。これは年相応の志向・欲求とも言えるものの、たぶんそれよりも、おれが「積分型」の人間であるという点に因るところが大きい。

 「微分型」「積分型」というのは、天文学者・宇宙物理学者の池内了が『科学の考え方・学び方』という本で使っていた表現である。「研究者(の考え方・見方)にはおおまかにわけて2通りのタイプがあるようです」「両方の眼をもつのが真に有能な研究者なのですが、そんな人はまれで、どうしても得意な方法にかたよるようです」と―「微分型」とは、問題の詳細を突き詰めて考え、すぐれたテクニックで解決してゆくタイプ。「積分型」とは、問題をより広い観点から見渡して、進むべき方向や整合性を考えるタイプ―ほどの意味である。前者はいわば「虫の眼」、後者は「鳥の眼」と言える(ちなみにおれは、この本を読むまではそれぞれを「スペシャリスト的」「ジェネラリスト的」などと言っていた)。

 これは研究者に限らずとも言えることのように思う。実際には「微分型」「積分型」と分けたとしても、池内氏が示唆しているように、その間の往復運動が必要不可欠であるものの、とりあえずこの伝でゆくと、おれは「積分型」の性質ないし癖がある。たとえば、複数のものをまたぐことでまず共通点と差異、繋がりなどを知ろう見極めようとするところがあるし、もしくは、ともすると「広く、しかし浅い」という事態に陥りがちなのは否めないとはいえ、同時に実感としては「広く捉えないと、むしろ深められない」というところが自分にはある・・・

 さておき、おそらく「積分型」ゆえに無意識に拡げよう拡げようとしていたのだろう。それで冒頭の話に戻ると、ひたすら「外へ」「向こう側へ」というベクトルが強かったと言ってよかったようなところに、なんだか違うベクトルが現れてきた。端的に言えば、どうやら「逆向き」、つまり「復習」「おさらい」というベクトルである―半年ほど前にこれを感じたときは「もしかして保守傾向かな?」とか思い、しばらく様子を見ることにしたのものだけど、現在、「外へ」という向きが変わったというわけでも、減退したということでもないらしく、しかしたとえば、去年の後半からちらほら現れ、今年に入ってから目に見えて増した再読頻度などを通して省みるに、これは乗っかるべき新たなベクトルなのだろうと思うに至った。

 この「復習」の感覚はちなみに、RPGなんかに喩えられるかもしれない。FFとかポケモンとかなんでもよいけれど、ゲームが進むほどに敵のレベルやフィールド・エリアの難易度は上がってゆくものである。で、ときに、いまの自分のレベルでは太刀打ちできないゾーンに直面することがある。そういうときって、どうするか・・・?これまで通過・踏破してきたエリアに戻って、経験値を稼ぎ、レベルアップを図る。あるいは次に進むために必要なアイテムを取り落としてきたらしいとなれば、同様に一旦後戻りして、再探索する―こういう感覚にちかい。つまり、保守化というより、次の段階に進むために必要なステップ―準備というより、“しこみ”というか(ゲームと明らかに違う点は「攻略本はない」ということ)―ある意味「微分型」的行為というか。

 たぶんこれは、いまの自分に必要な“流れ”であるのだろうと思う。というのも、ともかく「外へ向かって前進あるのみ」という感じだったために、いろいろと曖昧で怪しい知識が雑多に寄せ集められているだけだったり、道聴塗説の気味があったり、付け焼き刃的な思考による牽強付会な向きが端々に、少なからずあるように思えるのであって、だからこのへんで、きちんと「復習」することもしていった方がよいということかもしれない。


 ところで、この数年間で瓦解した“殻”(というよりこの場合は“壁”か)の一例をわかりやすいところで挙げると、「文系」「理系」という区別がある。先に登場した池内了の著書『物理学と神』を読んだことで2年ほど前に理系コンプレックスがぶっとんでからこっち、うれしいことに理系分野にも手を出せるようになった(余剰効果として敬遠していたSFも愉しめるようになった)。いわばサイエンスできるようになった(笑)

 これは個人的に、とても大きい。数式を示されてただちにその意味するところを把握する、なんて芸当はもちろんできないけれど、理系的なものの考え方・見方は新鮮であり刺激的で、文系一辺倒だったおれにはときにコペルニクス的転回もあった。加えてより重要な発見は、「文系」「理系」という分け方はたしかにあるものの、実はそれほど確固としたものではなく、語られていること、説明されていることの奥へちょっと踏み込んでみるだけで、むしろ文系・理系なんて括りはほとんど(あるいはまったく)関係なくなることが少なくないということである。ひいては、理系分野に多少親しむようになると、日常の会話や思考に自ずとその影響が出てくる―テクニカルターム(専門用語)や概念、法則などを文字通りの意味で、あるいは比喩として用いることもやや増えてきた。

 たとえば、おれは個人的に、「自分」「自己」「自我」と呼ばれるものは「相変化」という現象みたいなものだと捉えてみたりする。相変化とは物質が固体・液体・気体と「状態変化」する様を言うものだけど、人の状態も一定ではないし、化学物質によって「沸点」や「融点」は変わるけれど、一般に個性と呼ばれるものはこの沸点や融点のちがいみたいなものかもしれない。あるいは相変化について、水でいうと、この相変化の先に「雲」があったりする。雲というのは気象学でいうエアロゾル―空気中の塵や砂粒といった微粒子を核にしてはじめて水分子が雲粒になり、雲が形成される。言うなればエアロゾルは“雲のたね”である。で、比喩の続きをすれば雲は、人でいうアイデアに相当するのではないだろうかと、つまりアイデアには一見ゴミと思えるようなものも必要なのではないか・・・などと考えたりするわけである。

 こんなふうに比喩的に考えるのはおもしろいし、理系分野にある概念の簡潔さ・明瞭さといった作用も働いたりしてか、なんかすっきりした!なんて気持ちよさを感じることもある―ただし、先に「少し踏み込めば文系と理系という区別はそれほど重要なものではない」という話をしたけれど、逆説的なことを言うと、それゆえに文系一辺倒だったおれが理系の専門用語を安易に使うことにはなかなかの危険が潜んでおり、注意を要する。というのも歴史を紐解くと、科学の専門用語が社会学などに敷衍して使われるときによく勘違い・誤用(ときに転じて悪用)されて、あるいは単純化されて、場合によっては現在に至るまで後遺症を与えているケースもある(反対に科学自体も、背景にある文化や社会の影響から逃れられるものではない)。よい例が社会ダーウィニズムとか優生学とかいうのがあったり、中原中也も勘違いのために、ある詩の中でアインシュタインにちょっとお門違いなやっかみを展開をしていたり。

 だからおれの場合、理系分野の知識についてはとくに、復習・おさらいする必要がある。あと、理系分野の本と限定しなくても、『土の文明史』のようにカテゴリー的には歴史だけど一般には理系の知識・要素とされるようなものと不可分である、といったこともよくあり、基本的な事柄についてはとくに説明されていない本も少なくない。しかし、それは読者があらかじめ知っておくべきことでもあると思うから、やっぱり勉強しておくにしくはない―等々と思案していたところに、よさげなシリーズがあったので手に取ってみた。『おとなの楽習』という、中学レベルのおさらい本である。ひとまず物理学だけ買って読んでみたのだけど、これがけっこうよかった。理科攻めようかと、生物学と化学も読んでみた。このシリーズは1項目見開き2ページで解説してゆく形式である。


 この3冊を鑑みてよかったなと思った点を3つ4つ述べてみると、1つ目は、よくある「子どもの素朴な疑問」みたいなところから出発しつつも、読者はタイトルにあるように「おとな」なので、いわば「大人の言葉」で説明できるという点が活かされていることだと思う。だからわかりやすく、かつまた、興味をもって読める(ここで「大人の言葉」ってどんなんよ?と訊かれるとうまく答えられないのですが、後述する2つ目、3つ目なんかを含みうる感じというか・・・)。

理科のおさらい 物理 (おとなの楽習)

理科のおさらい 物理 (おとなの楽習)

 たとえば物理学を例にとってみると、「夕焼けはなぜ赤いの?」という疑問がある。はじめに指摘されるのは、「赤い光と青い光の違いを考えると理解できる」という点。そこから光の波長のちがい、屈折率や散乱の仕方の違いなどを説明ないし確認しつつ、ミー散乱と呼ばれる現象・用語があることを示したりして、夕陽が赤いわけを解き明かす。ひいては「昼間の(青い空にある)雲は白いのに、夕方の雲はなぜ赤く染まるのか?」という関連する疑問に触れ、レイリー散乱という現象にも言及される。ついでに「火星の夕陽は青いのです」とそのわけを、それまでに説明した現象で説明してみる。

 こんな具合に2ページとちょっとしたイラストで1項目を展開してゆくのだけど、ここでよかった点の2つ目を挙げると、1項目だけで読んでもおもしろく、また1項目で読み切りというのを可能にしつつも、同時に、全体の「文脈」も考えられているという点。上の夕陽の話にしても、この話の前の項目で「虹が7色に見えるのはなぜか」という話などを通すことで、波長とか屈折率とか散乱とはどういうものかを了解したうえで読むことができる。1冊単位で見ても、いくつかに分かけられている「章」の順序にさりげなく心配りがあり、つまり、順序をただ単に中学校の教科書に則すわけでも、羅列的にするわけでもなく、はじめから読んでいけば大きく躓くようなことがないように配慮されていることがわかる。

おとなの楽習11 理科のおさらい生物

おとなの楽習11 理科のおさらい生物

 生物学で言うと、はじめの1項目が「生物の特徴は何か?」という話ではじまる。そこでは4つ挙げられるのだけど、いわく「細胞でできている」「代謝する」「刺激に反応する」「生殖する」―ということで、それぞれに1章(ないし2章)設けて順々に説明されてゆく。このときも「代謝する」の前に「細胞でできている」の章で細胞に関する知識が一通りあるおかげで、代謝についての理解がしやすくなるといった流れがあったりする。また、8章あるうちの5章でこれらを説明した後に(それを下敷きに)あとの3章を使って「生態系」へと話を進めてゆくのだけど、ここでよかった点の3つ目を挙げると、その科目という枠に閉じこもっているのではなく、もう一回り大きな枠から、つまり「日常生活のなかにある物理学」「社会のなかにある生物学」というような視点もあるという点

 生物学ならば、脳死とか遺伝子組み換え技術、DNA鑑定、エコロジー、環境問題などなど、社会にある身近な話題も取り入れながら「ちなみに、この問題はこの項目と関係がありまして・・・」といった感じに示されたりする―生物学については筆者がこの点をちょっと意識しすぎたかなと思わないでもなかったけれど、裏を返せば、それだけ日常生活や社会に密接な科目でもあるということだろう(たしかに生物学はよく援用される)。

 ちなみに、おれは高校のとき、化学の成績が2だった(笑)だから理系コンプレックスがぶっとんだとか言いつつ、化学についてはまだまだ敬遠していた。とはいえ物理学と生物学がよかったしと、何より文系理系という区別がそうであったように、物理学や生物学と共に化学も「理科」という意味で同じなわけだしと、せっかくだからついでに手を出してみたのだった。意外だったことには、なんと化学アレルギー(拒絶反応)をもよおすことがなかった。以前は化学記号とか反応式を見ただけでげんなりしたものだけど、理科のほかの方面に接しているうちに、知らぬ間に・・・慣れていたのかもしれない。

 ともあれ、案外知っているようでよく知らなかったりしたもの(こと)がわかったりして、化学もおもしろく読めた。ただ、化学については、物理学と生物学の2冊に比べてこのシリーズのよさがちょっと活かしきれてなかったかなと、ちょっと物足りなかった感が残ったのも事実。などと思いつつも、考えてみると、化学という科目ゆえにしかたない面もあるのかもしれない。たとえば、基本的な化学物質について説明するにしても、1つ1つ説明してゆくうえではどうしても羅列の気味から逃れられないかもしれない。あるいは物理学、生物学、化学の3つで言うと、なんとなく、化学がいちばん数学っぽいように思う。具体的な物質について語っているのに、不思議なことに、抽象的な印象を受けるというか。なぜだろう。

 
 最後に、あと1つ、よかった点を挙げておくと、それは「はじめに」とか「おわりに」についてである。各筆者がそれぞれの科目に対する見方を述べていたりするのだけど、これがステレオタイプな印象をひょっと変えてくれるような示唆があり、その科目に対する興味をさりげなく引き出す効果がたしかにあるように思う。たとえば化学―「実験は“物質”との会話です。会話を通して人の個性が浮かび上がってくるように、実験を通して物質の個性がわたしたちの目の前に描き出されます」。物理学の「はじめに」にでは、「物理」という言葉を大和言葉にして読んでみることをすすめる―「もの」の「ことわり」。つまり、「ものの性質を明らかにし、その関係を理解しようとする」、この宇宙にある「すじみち」を見つけようとする学問が物理学だと。

 あるいは、物理学を共同で執筆しているもう1人の方は、「おわりに」でこんなことを書いている―「ボールを投げるとどこに落ちるのか」ということを考えるとき、物理学ではひとまず空気抵抗は無視してしまう。それは「空気抵抗がないような実際にない状況を考える」ということではなくて、「空気抵抗を考えなくても目の前にある現象を説明できればラッキーと考える」「余計に見えるものを削ぎ落として現象が説明できるかを考えてみる」ということだと。つまり、「大体、合っています」でよいし、むしろこの「大体」が重要だという。というのも、物理学の考え方は「複雑さのなかから“本質はこれだ!”と考えてみること」にあるから。

 ちなみにおれが読んだのは理科の3冊だったけれど、日本史も「はじめに」だけさらっと読んだところ、こんなような一文があった―日本史は暗記科目だと思われているけれど、それはちがう。本当は「考える科目」である。出来事や事件には因果関係が隠れている。だから「1853年にぺリー来航、1868年明治維新」というように「覚える」のではなく、そこにある原因と結果は何か、どのように生じたのか、どういう流れや背景があるのか等々を「考えてみる」、つながりを捉える。それが日本史という科目であると―個人的にこれはそのとおりだと思う。それにこれは、先に書いた2つ目の「文脈」にも通じるものがあるように思う。


 このシリーズ、理科だと天文学と気象学も別個で出ているくらいだから、地質学、出てほしいな、出ないかなって思う。というのも、日本史とか世界史とかに文化人類学なんかが合わさるとぶわっと時空間の広さと奥行が増して壮大になるのだけど、たとえば生物学に地質学が合わさると、同じ感覚を味わえるのです。

ゆとり世代宣言

 おれはいわゆる「ゆとり世代」である。

 「あ、ゆとり世代か」「ゆとり世代だから〜なんじゃない」などと年上の方々が口にするのを幾度か耳にしてきた。逆に「最近の若者は意外としっかりしてる」といった好意的な言葉を聞いたこともあったけれど、そこには「ゆとり世代なのに」と枕詞みたくついていたり、暗にほのめかされていたりしたことも少なくない。あるいはときには、「ゆとり世代ってかわいそうだよね」と同情されたり哀れまれたりしたこともある。

 そういうことがちょいちょいあるためか、自分の中に巣食う「ゆとり世代意識」はなんとなく、どこか払拭とまではいかない。以前は上記のような言葉を耳(目)にするたびに腹立たしくも虚しくもあり、また、ゆとり世代的引け目(コンプレックス)ないし、ゆとり世代であることに鬱憤めいたものがあった―好きでゆとり教育を受けたわけではないのだ、公立に行ったらたまたまゆとり教育だったのであり、義務教育だったのだ―「ゆとり言うな」と悶々していたこともあったし、ゆとり教育全面否定の言説などを本や雑誌で読んだりした際には「きみたちは失敗作だよ」と言われているようなものだと思い、苛立った挙句、それを焚書に処したこともある・・・(笑)ネット上でも「ゆとり言うな」的コメントをときどき目にする。

 しかし、なんかそういう反応って芸がないなと、いつの頃からか思うようになった。なんか気の利いた反応をしたいものだが・・・と、そして最近、ふと思い出されたのが、かの宗教革命(宗教改革)だった。

 時代を遡ること16世紀前半、西ヨーロッパではマルティン・ルター氏が口火を切る格好で宗教革命が巻き起こった。「カトリックなんて腐ってる!」ということで、このときプロテスタントと呼ばれる宗派が出現する。西ヨーロッパ各地で誕生したプロテスタントにもさまざまあるものの、そのうちの1つにカルヴァン派というのがあった。これはまた国によって呼び方がいろいろあったようだが、たとえば、英ではピューリタンとかプレスビテリアン、蘭ではゴイセン、仏ではユグノーと呼ばれていた―ピンときたのはこの呼び名の由来である。

 「イギリス国教会は不純だ!」と嫌悪・否定の態度にでるカルヴァン派に向かって、「君たちは純粋だよね、ピュアだなあ」と国教徒はのたもうた。言うまでなく皮肉をこめた言葉だった。しかしこれを受けてカルヴァン派は、「え、それって皮肉?てかピュアですけど、それがなにか?」と、むしろ自らピューリタンと名乗るようになった(らしい)。あるいはゴイセン。これはオランダ語で「乞食」を意味する言葉だったようだが、当時オランダの宗主国みたいな立場にあったスペインのカトリックたちが、「あの田舎もんが」というニュアンスで「乞食のくせして偉そうなことを抜かす」と蔑んできたのを、カルヴァン派の人々は「乞食?ははは、ウケるー。それもいいね」と、自らをゴイセンと呼ぶようになった(らしい)。

 真偽のほどは定かでないが、つまり彼らは、相手の皮肉や蔑視を己のなかでユーモアに転じたわけである。まこと、あっぱれ。おれもこれに倣うことにした―「そうそう、おれ、“ゆとり”なんですよねえ(笑)ところで、それがどうかしましたか?」

 ということで、あらためまして、おれはゆとり世代である。さしづめ「ゆとりあん」なんてふうに呼んでいただけると、なんかいまっぽい。


(余談ですが、「いまっぽい」と言えば「ナウい」―日本語の「now」という言葉は不思議である。「ナウい」と生まれ、流行し、そして死んだ(死語になった)・・・と思っていたら、今度はツイッター上に装いと意味を微妙に変えて「なう」と蘇えってきた(新語になった)。まるで不死鳥、もしくはゾンビーのような言葉だな―などと、少し前に思ったものだった。)

第2回:『埋葬』横田創

 この小説は2度読むことになる。きっと。

埋葬 (想像力の文学)

埋葬 (想像力の文学)

 たとえば「打ちのめされるようなすごい本」に遭遇したとき、「誰かにオススメしたくてたまらない!」という衝動に駆られることがある。感動はときに共鳴効果を求めてやまない。一方でたいていは、その「すごい」という感触とはべつに、相手の嗜好に合う合わない等々を思い合わせるなどして控えるか、薦めるにしてもそっと差し出す程度に止まる。しかし、ごくたまに、あからさまな言い方をすれば、「押しつけてでも読ませたい!」という衝動を掻き立てるものに出くわすことがある。

 押しつけること自体はそれほどむずかしいことじゃない。問題は、実際に読んでもらえるかどうかということだ。だからブログの場合で言えば、たとえば、不特定多数の顔も知らない相手に向かって「読みたい」と思わせるだけの文章力・技量が自分になければならない。というより、極端な話、人気タレントや定評のある書評ブロガーといった知名度や信頼を勝ち得ているような人なら、「オススメだよ」というその一言だけでも十分に効果があると思うのだけど、そんな知名度も信頼もないおれとしてはなんとかして「読みたい」「読んでみたい」と思わせるだけの文章を書かなければならない。

 これがとてもむずかしい。とくにオススメしたい本が「ネタばれ厳禁モノ」となると、ぎゅんッてハードルが上がる。どこがどう良かったのか、スゴかったのか、具体に則して説明できないことが多すぎたりして(がっぷりと本質的なところをおさえて無駄を選別する・削ぐ、という作業が不得手ということも手伝い)むずい、ツラい…贔屓の引き倒しになる懼(おそ)れも拭えない。また困ったことに、具体に則せないとなるとむしろ具体的に語りたくなってしまう性癖がおれにはあるらしく…どう書けばよいだろうかと頭をめぐらすほどに、当初の「オススメしたい」という気持ちはだんだん萎(しぼ)んでゆき、「とにかく語りたい」という気持ちのほうがむくむくと肥大してくる。しだいにフラストレーションを募らせる。「もう、いいや、おれだけに留めておけば…(押しつけがましいのはよくないね)」などとひとりごち、断念することになる(あるいはネタばれ全開で書くことになる)。

 というのがよくあるパターンです。だから横田創の『埋葬』についても、同じパターンをなぞるかと思われた。この小説も「押しつけてでも読ませたい!!」と思わせるほどスゴい本だったのだけど、語りの高度なテクニックと構造のトリックを思うと「ネタばれ厳禁モノ」でもあり、一度二度書こうとしたものの、やっぱりどうにもダメだった…反面、以下のような事実を知ったこともあり、オススメしておくことを諦めきれずにいた―横田創は現役の作家で最新作の『埋葬』含めこれまでに3冊公刊されている。しかし、前2冊はどうやら絶版らしい(単行本未収録作もだいぶある)。

 売れていないから「駄作」だとは言えない。むしろ、回転が速すぎる市場にあって零れ落ちてしまったり埋もれたしまったりというケースも少なくないと思う。また『埋葬』については、「受賞」はおろか「候補」になったという話さえ聞かない。要は、文芸誌を読んでいるような人たちでさえこの小説の存在を知らされていないようなものではないだろうか…? 前2冊も読んでみた。この小説家はもっと読まれていいんでないのか(いいはずなのに…)と思ったのである。これがオススメしたいという思いに拍車をかけ、とにかく『埋葬』だけでももっと読まれてほしいと、大袈裟な話、使命感めいた気分さえ催したのかもしれない―かといって先述したようなむずかしさが消え去るわけでもないのであって、いい加減書けてくれ…などと、ここ数ヶ月ほどのあいだ、折りに触れては試み、挫折し、もどかしいことこのうえなかった。

 だから、伴読部という場を逃す手はなかった。だって第一に「押しつけてでも読ませたい!!」という思いを文字通り実現可能なのだから。少なくとも2人には「有無を言わせず」に読ませることができるのだ。まず何を差し置いてでもこの本を指定しておかねばならない!―と、はやる気持ちでもって指定した(余談ですが「押しつけて読ませる」ことにはちょっと快感もあった)。同時に、反作用的に、伴読部を利用するということは感想を書くということでもあるため、果たしてそれができるかだろうかとこの点に危惧ないし不安も少なからずあったおれは、布石になるやもしれぬと、事前にちょっとした細工をしておいたのだった。

 第2回が『埋葬』に決定したあと後日、なむさんとast15さんのお二人とそれぞれとメールすることがありました。その際なむさんには、あたかもまだ読んだことがないフリをして「実はぼくも未読なんですよね」と言い、ast15さんには、あたかも読んだことがあるフリをして「楽しんでください」と伝えました―第三者がこれを知らずに、仮に「赤亀は読んだうえで指定したのかどうか」という点を問題にしたとする…なむさんとast15さん、それぞれの話を聞いたこの第三者はどう思うだろう? 事実はどうなんだ?と困惑するかもしれない。そこでおれを召集する。そして訊ねる。実のところどうだったのか?おれは答える―「ていうかそもそも、指定した憶えなどないよ」

 これは『埋葬』でも言及される、芥川龍之介の『藪の中』に模したたとえ話である。真実はあるはずだがさまざまな解釈しか残されない…「真実は藪の中」というわけだ。しかし『埋葬』は、たしかに『藪の中』の構造を踏襲しているように思えるとはいえ、実は、似て非なるものである。たとえば、『藪の中』では殺された夫が口寄せされて霊媒者の口を借りて語る、上のたとえ話で言えばお呼びですかとおれ自身が現れて語る。一方『埋葬』では、死んだ奥さん、彼女自身が直接自らを語ることはない―このぽっかり空いた「穴」が決定的にちがう。かつ『埋葬』では、ものごとではなく“人”を語ろうとする。すごく恐い。

 実際、帯のコピーには「不穏な告白文学」とあるけれど、この不穏さは1回目と2回目でその濃度や性質がまるでちがうものとなる―そもそもおれは経験的に、「告白小説が不穏じゃないわけがない(帯のコピーはトートロジーとも言える)。なぜなら一人称語りと日記(or手記)という形式を併せもつ最近の小説の語り手は、ほぼ必ず“信頼できない語り手”といってよいのだから」と、要は、読む前からしっかり構えていた…にもかかわらず、1回目はとにかく、度肝をぬかれた。おれのちゃちな警戒心など嵐の前の塵に同じみたいなものだった。

 そして急かされるままに読んだ2回目となると、むしろ今度のほうが不穏さがいや増す。思わぬところに(しかしわりと堂々と)暗示が顔を見せメタファーが潜んでいて、それらに気づくたびにギョッとしたり、背筋が凍りつくような戦慄が奔ったりと、胆を冷やすことおびただしい。ミステリ、恋愛小説、スリップストリーム、あるいはコミュニケーション論等々と、さまざまな「読み味」をもつこの小説にもしおれがタグを1つ付けるとすれば、この再読時の実感も鑑みて「ホラー」とするかもしれない(幽霊とか妖怪とか悪魔とかゾンビとか、一切出てこないけれど)。

 このホラー感というのは、ごく日常的な行為である“語り”に由来するところ大なのだけど、ところで、それぞれのちがう様子を語る語り手たちの口調からは疑念よりもまず、確信を抱いているという印象を受ける、もしくは疑念がちらりと脳裏をよぎっても確信で抑えこんでいるふうである(ゆえにパラノイアともちょっと違うように思える)。そんな語り手たちはなぜあの女性、奥さんのことをあれほどまでに、ときに急かされるようにして、語るのだろう…? 作中、事件を取材しているインタビュアーは『藪の中』を再読したときに抱いた「謎であり疑問」とを思い合わせ、以下のように述懐したのだった―果たして口寄せされた男のように死者は、話すことに欲望、というより渇望を抱くものなのか?と。ちがうんじゃないかと。

死んだ者は話すことができないからこそ生き残ったものは、いや、生き残らされた者は否が応でも死んだ者の話をさせられるのではないか。代わりをさせられるのではないか。つまり写真を撮らされているのではないか。

 だから、たとえば、「語り手たちの口を借りて」語られる彼女の言葉(or 振舞い)は信じていいのかもしれないと思う。(あるいはこれは、敷衍できることかもしれない。つまり、語らせるのは“死者”に限らないと―友人としゃべっているときに「おや、おれはこんなことを思っていたのか」と自分の口からふと出た言葉に我ことながら意外に感じた、というような経験があるのはたぶん、おれだけではないと思う。『埋葬』をオススメしようとしたのは「押しつけてでも読ませたい!!」という衝動に(語ったというよりも)語らされたのかもしれない。というよりこの場合は、語らせられることのできないがために伴読部で採りあげるという“行動”をとらされたと言ったほうが正しいかもしれない。)
 
 さておき、これはこの小説と格闘するための前準備、ウォーミングアップみたいなものでしかない。『埋葬』は優れた小説の例にもれず、いろいろに、多層的に読むことができる。ともかく、打ちのめされるようなすごい小説なのです。読んでみて損はない。 


『トロピカル・マラディ』または『山月記』

 『トロピカル・マラディ』という映画がスゴかった。濃密でいて静謐。アピチャッポン・ウィーラセタクンというタイ人映画監督の作品である。いままで観てきた映画のなかでも五指に入る。もしかしたら1番かもしれない。

 森林警備兵のケンと無職の田舎人トン―この2人の青年の、果汁の滴るような愛とささやかでいて幸せそうな日常が描かれる前半。「魂の通り道」という伝説が語られ、劇中劇といった形式でもって一転、森を舞台に“虎”の気配がただよい不穏な空気に包まれる後半(これは本当に“一転”する。同じ映画とは思えないほどに。)―前半のケンとトンと、後半の“兵士”と“虎”は、同じ人物であり、同じ人間ではないかもしれない。森の包容感と禍々しさ。最後のシークエンスには胸がつまった。上映終了後には深い吐息がもれた。

 野暮なことを言うけれど、ある作品を観たとき、過去に接してきた作品群を通じて得た知見や価値基準、あるいは個人的な好み・嗜好、ときには気分と、いろいろなバロメーターを使っているものである。バロメーターは必ずしも1つではないから、「映画としてはスゴいけれど好みではない」「言いたいことはわかるが出来はいまいち」というようなことはままある。

 この映画はまずもって、映画としてスゴいと思う。内容と形式とがゆるやかに、しかしカチリと噛みあった幸福な映画だ。それに、まさしく映画でなければ表現することのできない、映画だからこそ現すことのできる世界だった。うれしいことには自分の好み(志向)としても好きなものだった。もう1つの幸福な一致。
 
 惜しむらくはブルーレイはおろか、この映画はDVDもVHSも存在しないということである。これほどの映画が…?と、はじめちょっと信じがたかったが事実、アピチャッポンの映画でDVD化されているのは最新作の『ブンミおじさんの森』(原題を直訳すれば「前世を思い出せるブンミおじさん」)という映画のみで、これは2010年のカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)を受賞した作品である。今回おれが観れたのは吉祥寺バウスシアターで催された「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ」という特集上映があったおかげだった。

 ものごとの巡りあわせとは不思議なものだ。

 映画好きな友人が「園子温の『冷たい熱帯魚』がよかった」と言っていたので調べてみたら当時、都内で上映している映画観が1つだけあり、吉祥寺バウスシアターだった。結局『冷たい熱帯魚』は観に行けなかったけども、そのとき、HPにアピチャッポン特集の告知が出ていることに気づいたのだった。『冷たい熱帯魚』と一緒に借りてきたDVDに『ブンミおじさんの森』があった。

 『ブンミ』を借りたのは、先に触れたようにパルムドールを受賞していたためだった(審査員長がティム・バートンだったという点がやや引っかかったけれど)―少し前にWikipediaで過去のパルムドール受賞作一覧を眺めていたところ、個人的に強く印象に残っている作品がいくつかあることに気づいた(たとえば『第三の男』、『タクシードライバー』、『楢山節考』、『ツリー・オブ・ライフ』etc.)。検索のきっかけは『アンダーグランド』だった。この映画もパルムドール受賞作であり、はじめにその旨のテロップが表示されていたのだった。

 一覧を最近のものから見てゆけば、すぐに『ブンミおじさんの森』が現れる。タイの映画だという。しめた、と思った。個人的に、映画には映画でしかできないような表現をまずもって期待する(内容ありきの表現・形式ではあるし、観てはじめてわかることの方が多いのだけど)。ひいては耳慣れない・聞き取れない言語の聞き心地、その言語でのやりとりや、地域、時代によって異なる街並みや人々の振る舞い・仕草、土俗性によって醸しだされる雰囲気を求めていたりする。読書では直接に五官で得ることのできない(想像力で補うしかない)ところの感覚がほしいという気持ちがことのほか強い。

 予備知識なく観た『ブンミ』ははじめ、よくわからなかった。というよりラスト30分に戸惑った、と言うほうが正しい。映像に濃淡光陰があって、1つ1つの場面が幻惑的で印象深かった。また虫の音、鳥の鳴き声、木々のざわめき、水音といった音の使い方が特徴的だと思い、それらが融けあい生みだされるアニミズムな世界は要は半分眠っているような退屈さで、とても心地よい。個人的には好きだった。しかし映画としての出来はどうなのだろう…ラスト30分が奇抜すぎたような…おれの基準では測りがたかった。バウスシアターの特集を知ったのはこのような感想を抱いたころだった。全部で4つの作品が上映されるとのことでせっかくだから、もう1つくらいべつの作品も観てみようかくらいの気持ちで観に行くことにしたのだった。
 
 『トロピカル・マラディ』を選んだのは主人公2人がホモだったからである。個人的に「あいだ(境界)」というのが関心事の1つにあって、松岡正剛の『フラジャイル』を読んで以来、ホモないし同性愛者というのも「女と男のあいだ」という意味で関心の対象になるようになった。頭では理解できるものの、感覚としては未知の領域(ホモになりたいわけではない)。『花のノートルダム』や『蜘蛛女のキス』といった小説を手にしたときも端的な理由はホモが中心に据えられていたからだったが同じようにして選んだのだった。

 特集期間は2週間、1日に4回の上映があり、『ブンミ』以外の3作については上映回数が1週間に2・3回とさらに限られていた。その他は『ブンミ』で埋め尽くされていた……上映期間半ばに『トロピカル・マラディ』を観て驚いたおれは、ついで『ブンミおじさんの森』以外はいまを逃すと次はいつ観れるのかわからないという事実を知るに至り、ならば観ておくしかないではないかとあの手(シフトを替わってもらう)この手(仮病)を使って時間をつくり、1週間、足しげく通ったのだった。初期の2作品『真昼の不思議な物体』と『ブリスフリー・ユアーズ』を1回ずつ、スクリーンということで『ブンミ』も1回、『トロピカル・マラディ』については3回観た。

 この4つの中では、やっぱり、『トロピカル・マラディ』が別格だった。でもたぶん、この映画に心打たれたのは『ブンミおじさんの森』でわからないなりに一度アピチャッポンの映画を体験していたからでもあっただろうと思う。

人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

 『トロピカル・マラディ』の冒頭で引用される一節。引用元は中島敦の『山月記』、李徴という虎になった男が口にする。

 高2のときに国語の授業で読んだときのことを思い出した。初夏だったような気がする。「読んだ」と書いたけれど本当のところは、先生の朗読を「聴いた」のだった。この初老の男性教師の授業はまったく役に立たないものだった。というのはいつも朗読していたという印象くらいしか残っていない。その朗読がほどよく子守唄のように響くために、国語の授業はおれの睡眠タイムだった。

 おそらくどこの学校でも一度は扱われているのではないかと思われる『山月記』がこの授業でも例にもれず、ある日、取りあげられた。これも朗読された。なぜなのかは覚えていないけれどそのときはちゃんと聴いたのだった。むしろ、先生の低く渋い声の調子が朗々と語るそれに、聴き入った。

山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)

山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)

 朝から晩まで部活尽くしだった日々のなか通学時間が長かったこともあってそれまでも、超過満員電車の中に限っては読書タイムだった。当時手にとっていたものはいわゆる直木賞系統の、かつ現役の作家のものに限られていた。いわゆる純文学と呼ばれる系統は何か小難しく堅苦しいものだと…もっと言えば、時代遅れというような認識をなぜかもっていたように思う。「国語の授業なんて意味ないよ」という周囲の空気にならい、それはまだしも、どうやらおれは過激派だったらしく「教科書に載っているという、ただそれだけで読む価値なし」という具合に蔑んでさえいたような気もする。

 『山月記』に、それまで読んできたものとはまた違うおもしろさを感じたのだった。授業中にあらためて読み返し、部活が終わったあとに本屋に行き、文庫本を購入し、収録されていた他の作品も読んでみた。新宿駅から読み始め気がつくと終点の高尾山口駅にいた。降りるべき駅は30分ほど前に通り過ぎていた―『トロピカル・マラディ』を観た日の夜、高2のときに買った文庫本を取り出し『山月記』を読み返していて、ふと、そんな記憶が呼び起こされたのだった。

 中島敦清朝の『唐人説薈』にある「人虎伝」という変身譚を元に『山月記』を書いた。アピチャッポン・ウィーラセタクンが『山月記』を読んだのは、実は、映画の企画を立てた後に「日本に似たような話がある」と聞いたことがきっかけだったらしい(英語でかタイ語でかはわからないけれどあの文体がどのように訳されたのか気になるところ)。「人虎」はインドから中国にかけてアジア一帯に似たようなものが見られるという―説話、小説、映画と、同じプロットの元にそれぞれの表現形式で、中国、日本、タイと、100・200年というスパンでもって繰り返し息を吹き込まれているその連鎖、変容を思う。

 特集上映にはなかった『トロピカル・マラディ』と『ブンミおじさんの森』との間に製作された『世紀の光』という映画も、いつか観てみたい。いつの日か観れるときが来ることを願う今日この頃。

真夏のアスファルトで干からびるミミズ。窒息しそうなほど溢れかえる窒素。あるいは、文明の寿命。『土の文明史』

 土壌の肥沃さと土壌浸食は、歴史の流れを大きく変えてきた―より具体的に言えば、「土壌劣化」と「加速する侵食」という双子の問題が文明の運命を左右してきた。“泥に刻まれた歴史”を紐解くことで、それが見えてくる。

 「土」をキーワードに歴史が解き明かされる様は、ときに鼻づまりが解消したかのような快感があり、とてもおもしろい!同時に、人間の業、とも呼べる「歴史の繰り返し」に恐れ慄く。


 「あらゆる文化(芸術・科学)の基礎を成している文化とは農業である」と『栽培植物と農耕の起源』の著者、中尾氏は説いた。『銃・病原菌・鉄』という本は「人類の歴史」という大きなテーマを扱ったものだが、著者のダイヤモンド氏は全体の1/3を農業の成り立ちや栽培植物・家畜の伝播に割いていた。そのくらい説明の要する重要なポイントだということだろうと思う。

 文明は、農耕が起こって、人口を養うに十分な食料と、かつ食料の余剰・備蓄が確保できるようになってはじめて成り立つ。仮に電気や石油がなくなったとしてもそれでそれで生きてゆくことは可能だろう。しかし、食べ物がなければ生きていけない。そして農耕ないし農業は、土の存在を前提としている。土なくして食料はまかなえない。『天空の城ラピュタ』のヒロインであるシータはあの空中庭園の上で叫んだ―「人は土から離れては生きられない!」

 本書『土の文明史』によると…土地が支えられる以上の数の人間を養わなければならなくなったとき(土壌の消費がその生成を上回ったとき)、社会的政治的紛争や戦争が、あるいは気候変動や病原菌、自然災害が致命的なダメージを与えることになって、社会は衰退し、やがて滅ぶに至った。メソポタミアでも古代ギリシャでも、ローマ帝国、中国の諸王朝、マヤ王国でも、いわば“生態学的自殺”が繰り返されてきた。あるいはフランス革命やヨーロッパ諸国の新大陸の征服・植民地化、アメリカの西部開拓なども、それに先立つ土壌の喪失が下地としてあった―「土壌の喪失」の意味するところは、食料不足、あるいは飢餓である。

 著者のモントゴメリー氏は言う。

土は私たちのもっとも正当に評価されていない、もっとも軽んじられた、それでいて欠くことのできない天然資源なのだ。

 そして「文明の寿命」とは、

おおまかに言えば、農業生産が利用可能な耕作適地のすべてで行われてから、表土が侵食されつくすまでにかかる時間を限界とする。

 放射性炭素年代測定法や過去の調査記録などによって明らかにされる“泥に刻まれた歴史”は、過ぎた話ではなく、現在も、しかし今度は地域とか領土といった一部の領域ではなく、地球規模で起きている…付言しておくと、地球上の生産力のある農地の面積は1970年代から減少しているという。要は、衰退期に入っている。*1 歴史上何度も繰り返されたパターンをふたたび繰り返そうとしている。同様に人は、繰り返し、同じことを口にしてきた。たとえば―

造物は涯(かぎ)りあり、しかして人情に涯りなし。

「造物」は「地球の資源」、「人情」は「欲望」の意。中国は明代のエッセイ『呻吟語』にある呂新悟の言葉である。


 ※今回のエントリーは、『土の文明史』を主にしての『ミミズと土』『大気を変える錬金術』との3冊併読ものです。


 ★関連(先行)エントリー*2

 その1:諸文化の根にある文化と「いただきます」『栽培植物と農耕の起源』
 その2:地球ごと逆回転させる『銃・病原菌・鉄』と、女媧の盲目

 

土の循環とミミズ

 ひとまず、土壌の話から始めよう。

 土というのは、地域差などはもちろんあるけれど、大きく3つの層位に分けられる。上からA、B、C層位と呼ばれる。「表土」と呼ばれたりするA層位は、有機物が無機質土壌と混ざった養分に富む層だ。生命活動が行われる場は―つまり人が耕作して食料を得るに利用できるのも―この一番上のA層位である。その下のB層位はいわゆる「下層土」と呼ばれるものだが、ここが地表に丸出しになっている土地は耕作不可能な土地(不毛の地)だと言ってよい。

 今回の話ではA層位が要(かなめ)となる。このA層位は養分に富む反面、雨や強風、表面流去などによって侵食されやすいという。加えて層の厚さは30cm〜1m―これはA層位を「地球の皮膚」と喩えてみれば、人の皮膚よりも薄いということになる・・・おそろしく薄いッ!がしかし、植物が雨風の衝撃から表土を守ったり、生物たちによって栄養分が循環したりしているなど、つまり生態系のバランスが保たれている間は、土壌の生成と侵食の速度が釣り合うことでA層位がなくなるということはほとんど見られない。

 その土壌生成において大きな存在感を示す生き物の1つが、ミミズである。そう、夏になるとアスファルトの上で干からびている哀れな姿をよく見かける・・・パッと見どっちが頭でどっちが尻尾かわからなかったりする、あのミミズ。

 『種の起源』で有名なダーウィンの最後の著作は、『ミミズの習性に関する観察と、ミミズの働きを通しての有機土壌の形成』(原題訳)という、一見するとまことに地味な本だった。実際だいぶ長いあいだ「耄碌したジジイが趣味で書いた本」みたいな扱いを受けていたようなのだけど・・・解説の古生物学者ティーブン・J・グールドによると、この本はミミズの論考はもちろん、進化論にかかわる「科学的な方法でいかにして歴史に近づきうるかの探求の書」でもあるという。そういう意味でも実は重要な1冊なのだが、それを措いたとしても、ダーウィンのミミズと自然に対する愛や好奇心、子どものような無邪気さに満ちている愉快な1冊だった。

ミミズと土 (平凡社ライブラリー)

ミミズと土 (平凡社ライブラリー)

 この著書によって明らかになったことの1つは、ミミズは土壌ないし肥沃土を形成するのに大きな役割を果たしているということだった。ミミズが、土を食したあと地表近くで排出する糞(というか土の粒子)が絶えず蓄積されたり、その糞や細かい泥とリサイクルした有機物(枯れ葉や死骸、鉱物など)がミミズの行動によって混ぜ合わされることで肥沃土が作られているのだ(現在では、ミミズの行動によって炭素が地面の中に押し込められそれが土壌形成に一役買っている、なんてこともわかっているらしい)。

 足元の土は、これまで何度もミミズの体内を通ってきたもので満ちているし、これから先も何度も通ってゆく。そうすることで肥沃な土壌が生成され保たれてきたし、これからもそうだろうとダーウィンは説いた。

 ちなみに、ミミズと土の関係に着目したのは、進化論がそうだったように、ダーウィン以前から何人かいた。たとえば18世紀の地質学者ジェイムズ・ハットンがそうだし、ぐっと遡ってみれば、古代エジプトクレオパトラは、この生き物が肥沃な土壌に欠かせないことを知っていたため「ミミズの国外持ち出し禁止」という御触れを出していたという―

 ミミズの他にももちろん、微生物や昆虫など他の生き物も土壌生成に寄与している。また、その土地の気候や地形、母材にも左右されるし、このような土地の性格ないし環境は逆に、土壌“浸食”の原因にもかかわってくる。とくに「その土地の傾斜と農業慣行による影響が大きい」のだとモントゴメリー氏は説明する。


グローバル社会は植民地政策の遺産

 繰り返すが、農業生産は文明に不可欠なものだ。文明の誕生にも、繁栄にも、維持にも、そして消滅にも、密接に関わっている。

 しかしそもそも、長期的に見ると、もともと農業という行為そのものにリスクが伴っているのだという。どういうことかというと、先にA層位は生態系が保たれている間は一方的に侵食されるようなことはあまりないと言ったけれど、農業を始めた途端、土地の侵食度が加速する。通常の数倍、条件が悪いと100倍〜1000倍になることもあるという。

 作物が農地を覆うのは1年の限られた期間のため、剥き出しの土壌は風雨にさらされて侵食が引き起こされる。また、土壌有機物が空気にさらされることで酸化し、減少してしまう。長く耕作するほど一般に侵食されやすくなる。大雑把に言うと、こういうことらしい。

 ただし、この侵食は往々にして気づかない。ふつう1代2代のうちにダメになるといった短期的な問題ではないためだ。しかし、数世代を経て「気づいた」ときには、取り戻せない・手に負えない状態になっている。 

もっともゆっくりとした変化こそ、時として止めるのが難しい。

 加えて『銃・病原菌・鉄』でも話に出たことだが、食料を生産することで人口が増え、人口が増えることで食料がさらに必要になり、それでまた人口が増え…という、結果そのものがその過程の促進をさらに早める正のフィードバックが生じる。この指数関数的に増える人口と、土地の劣化による収穫減という圧力が膨れ続けるにつれて、すでに耕作地である土地はさらに酷使され、一方では周囲へ耕作地を広げてゆくようになる。

土壌侵食の最初の形跡は開拓農民の登場と時期を同じくする。

 果てに、森や山を切り拓くなどして“限界耕作地”に至る。山といえば傾斜地だが、傾斜地は文字通り斜めだから土壌流去が激しい(木などがないためになおさら)。ここまで来るとそこから先はない。あとは衰退してゆく・・・あるいは(往々にして)さらに“外”へ―つまり他国の征服、略奪、植民地化という手段に訴えるようになる。近代以降ならば、主張信条というよりもむしろ、食料不足による民衆の空腹感やストレスなどの捌け口として革命が時宜を得たりする場合もある。

 そして、古代文明の誕生から続いてきたそうした繰り返しのなか生まれてきたもの、それがグローバル社会だというのだ(!)そもそも、いわゆる大航海時代が幕を開けた中世ヨーロッパでは当時、食糧自給の限界に直面していた。耕作可能な土地はほとんど全て開拓済みなのに人口は増加してゆくし、その間も土壌の劣化は止まらない。

 西ヨーロッパのなかでも、もっとも人口密度が高くもっとも絶え間なく耕作されている地域にあった国が、もっとも積極的に新世界を植民地化していった。植民地ではその土地の農業ポテンシャルを利用して安価な食料を生産・輸出するようになり、その輸出品は砂糖やコーヒー、タバコ、お茶といった贅沢品から、穀物、肉、乳製品などの基本食料品へと次第に変わっていった。ここに至り、ヨーロッパ農業の自立は終わりを告げることになる。

 要は、繰り返される飢餓問題を「食料を輸入し、人間を輸出する」ことで解決したということである。グローバル経済の構造を端的に言えば「世界中から材料を集めて加工しては世界中にばらまく」―その構造の基礎が植民地政策によって作られていった面が多分にあるということである。市場のグルーバル化に帝国主義の痕(あと)が見えてくる。

 いわゆる発展途上国と呼ばれる国々で問題になっている、モノカルチャー経済。これも植民地政策の産物、というより後遺症である。土壌のことになど構うことのなかった宗主国のお偉方によって押し付けられた「短期間で最大の利益を上げる」ことを目的としたプランテーション農業―プランテーションというのは大抵、単作である。単作というのは土地の循環が著しく悪くなったりするために、土壌劣化がふつうの農業よりもひどい。かつ利益重視だから、大規模化させる。土地から追い出された農民は機械を買うお金もなければ土地もないしで限界耕作地へ行くしかなくなり、土壌流失、過放牧、森林伐採、開拓、・・・というサイクルが出来上がってしまう。独立後もその仕組みが下敷きになっていたり影響していたりして、なかなか抜け出すことができない。

 こういった植民地政策だけでなく、ずっと昔から時代が下るにつれ農業が集約化されてゆくなかで問題になっていたのは不在地主という点だ。農民たちは土壌が劣化していることに感づきはしても、重い年貢やらでその点にかまっていると食べていけず、自分の土地でなかったりもして、土壌を改善する余裕が往々にしてない。一方で地主は自ら農作業しているわけではないから気づかないし、利益を優先するためにもともと気にかけようともしない。


化学肥料と大気を変える錬金術―窒素

 ところで、最近、世界の人口は70億を突破したらしい・・・1900年には16億だったのに・・・100年のあいだになぜここまで急増したのか・・・?

 その理由の一つに、「化学肥料」の発明が挙げられる。具体的に言うと、ドイツで開発された「ハーバー・ボッシュ法」と呼ばれる、大気中の窒素(N)から化学肥料の活性成分となるアンモニア(NH)を生成する技術である。1909年に物理化学者フリッツ・ハーバーが有用なアンモニア合成法を発見し、20年後に化学者カール・ボッシュが産業規模で行う方法を開発した。この発明を取り巻く経緯・歴史を扱っているのが『大気を変える錬金術』という本である。

 この本はスゴ本の中の人Dainさんに「『土の文明史』はこれとセットで読むと、広がります。土壌流出の歴史と、それにあらがう土壌ドーピングの発明史になります」と教えていただいたものです。これもまた興味深き1冊だった。

大気を変える錬金術――ハーバー、ボッシュと化学の世紀

大気を変える錬金術――ハーバー、ボッシュと化学の世紀

 この発明の何がスゴいのかわからない方もいるかもしれないため(何を隠そう、はじめて聞いたときおれがわからなかった)、まず、窒素目線の生態系を概観しておこう。なお、これからこの項において扱われる一連の窒素の話は『土の文明史』ではほとんど触れられていないものです。

 窒素は生物の体を作るタンパク質の原料として重要な元素であり、タンパク質といえば動物にとって不可欠のものです。ところがどうして、植物しか作ることができない代物でもあります。植物は光合成で作った炭水化物と、根っこから吸収した窒素化合物を材料にタンパク質を合成し、草食動物などは植物から得たタンパク質をアミノ酸に消化し、草食動物を食べた肉食動物も同じように体に取り込んでゆきます。このようにして窒素は食物連鎖を移動してゆくのです。

 一方、生物の死骸に含まれているタンパク質や排泄物となった尿素有機物)は、分解者(菌類・細菌類)によってアンモニアに分解され、さらに窒素化合物となって土中に戻ってゆきます。この窒素化合物というのは植物に必要な無機養分(つまり肥料)であり、前述のように根っこから吸収されます―窒素はこのように、植物の成長に、ひいては動物がタンパク質を得るためにとても重要な存在なのです。

 ところで、大気中には窒素がおよそ80%を占めています。しかしほとんどの生物はこれを直接取り入れることができません。これができるのはマメ科植物の根っこについて共生している根粒菌と呼ばれる細菌であり、この細菌は空気中から窒素を摂取して窒素化合物を作ります(稲妻や火山噴火でも少しだけできます)―この働きは「窒素固定」と呼ばれます。

 窒素は、生態系でこのように循環している。クローバーなどの輪作が土壌回復に寄与するのも根粒菌のためだ。歴史的には、根粒菌の窒素化合物の生成が人間の消費に間に合わなかったり、輪作などを行わなかったために土壌が流出していった面もあったりで、土地が痩せていった。痩せた土地や、未耕作だが不毛な土地をなんとか使えればよいのだが・・・と少なくない人間が思ったことだろう。

 ハーバー・ボッシュ法という発明は、この根粒菌くらいにしかできなった窒素固定を可能にする“大気を変える錬金術”、すなわち、空気をパンに変える技術だった。このスゴさ・影響力は、人口爆発に見られるだけでなく、たとえば、本書の著者は言う―いまの人口の半分がこの技術のおかげで食べていけているのだよ。と。

 ちなみに、この技術によって無尽蔵に火薬を生産することも可能となった。肥料と爆薬の化学構造はとても似ているためだ。前述した時代と場所を見て察せられるかもしれないが、もちろんナチスはこれを利用したし、ハーバーとボッシュもむしろ積極的にヒトラーに協力しもした、そのような経緯もこの本では辿られている(「連合国」と呼ばれていた国々がこの発明を実際に知ったのは第2次大戦後のことだったらしい)。人間が科学を食い物にした際立った(科学とは人間臭いものだという)一例がここにある・・・が、その話はここでは措いておきます。

 現在、どうやら、このハーバー・ボッシュ法によって増加した窒素が問題になっているらしい。図書館でたまたま手に取った『日経サイエンス(2010年5月号)』に「もうひとつの地球環境問題・活性窒素」という記事が載っていた。これも参考にしてみると―肥料向けに人間が作り出した反応性窒素(=活性窒素;NOx)の大部分は人間の口に入ることなく環境中に残ってしまう。また「脱窒」と呼ばれる、窒素固定とは逆の働きをする細菌群の活動との釣り合いも崩れてしまった。

 結果、活性窒素が―不活性状態から解き放たれたこの窒素は「自然界でもっとも気まぐれな元素」と呼ばれる―地球上に溢れてしまっている。活性窒素は大気や河川、海へと移動し、汚染物質に豹変し、土壌の酸性化、酸性雨、オゾン汚染、「水の華(アオコなどの有害藻類ブルーム)」や沿岸の「デッドゾーンプランクトンなどが大量発生した酸欠海域、赤潮)」等々、さまざまな問題を引き起こしている。もしくはその可能性が極めて高い。

 バイオ燃料というのも、エコと言うにはためらわれるように思える。なぜなら化学肥料の製造には、化石燃料が使われている。その化学肥料でもって燃料用の穀物(トオモロコシとか)を育てている。あるいは食肉の生産のために家畜に食べさせる飼料のために同じように穀物を育てている。摂取されることなく環境中に残る窒素もやはりあるため、上述のようにそれが汚染物質となりもする。

 窒素という元素名は「窒息させる気体」というところから名付けられた。地球は、人間が造り出した「窒息しそうなほど」と形容したくなるほど大量の活性窒素で溢れていて、栄養過多のために生態系が崩れている―まだ調査・研究は緒についたばかりと言っていいくらいのようだから無闇に言い立てることは憚られるけれども、現時点で見出しうる点だけでも等閑視しがたいということは窺える。

 同時に、反面、この技術ひいては化学肥料は、必ずしも悪とは言えない。劣化した土壌を回復させる効果があることは事実だし、栄養失調や貧困の悪循環から抜け出せない国や地域においては必要なものである―窒素肥料を注入することで農業生産力が向上し人々の健康状態が改善した例もたしかにあるのだ。化学肥料(と農薬)について現時点で考えるべき点は、使い方・使う量にある。


宇宙にぽっかり浮かんだこの“島”で

 モントゴメリー氏は明言する―「化学肥料や農薬を余計に使いすぎだ」、というか「実は必ずしも必要とされるものではない」と。

 たしかに、化学肥料や農薬は農業生産を上げる場合もある。しかし最近の調査によると、いわゆる有機農業に変えても生産力はさほど変わらない、むしろ上がる場合さえ多々あるという。有機栽培はエネルギー効率と経済的利益を共に高めうる、つまり、工業的な農芸化学は社会的な慣習であって、経済的要請ではないと。

 有機農業とは何かといえば、ご存知のように、化学肥料や農薬に頼らず行う農業である。ではその薬の代わりにどういった方法を取るのか―何のことはない、昔から知られている方法だ。たとえば、エンドウマメやクローバーのようなマメ科植物を輪作するとか、休耕とか、厩肥や灰の堆肥だとか、傾斜地の場合は段々畑にするとか、今だとあえて耕さない「不耕起農業」という方法なんてのもあるらしい。

問題は私たちが有機でやっていかれるかどうかではない、そうしていかなければやっていかれないのだ。

 もうこの地球上に未開拓地はないのだから。もともと上記のような昔からある方法を利益重視や面倒臭さから放棄したことで土壌が著しく劣化した。たとえば、化学肥料を施したことで生産力が上がったように見えた場合も、それは土壌が回復したことで、本来もっていた生産力を発揮したがゆえだったり。しかし、回復した後も続けているのは単に社会的な慣習(習慣)がそうさせているのであって、もはや無駄に注入しているだけにすぎない。つまり、農芸化学によって「栄養の添加」になってしまった農業慣行を「土地管理と栄養循環」に引き戻す必要があると、氏は主張する。

私たちが耕土をどのように扱うか―地域に順応した生態系としてか、化学物質の倉庫としてか、あるいは有害物の処理場としてか―は、次世代の人類の選択肢を決定する。

 もう1つここで、「都市化」の問題についても少し触れておこう。モントゴメリー氏曰く―道路の敷設や建物を建築する際、ショベルカーなどで土をある程度取り除ける。そこをアスファルトやコンクリートで覆う。取り除けられた土はどこかに運ばれ、あるいは海などに捨てられたり、埋立地の一部になったりする・・・本来なら耕作に適していたかもしれない土地をそのように扱うのは、環境破壊というより、自分で自分の首を絞めているようなものだ、と。

 この部分を読んでいたとき、先に書いたミミズの印象―夏のアスファルトの上で干からびている姿―がふいに思い起こされた。そこにミミズがいるということはつまり、その近くに、もしくはアスファルトの下に、土壌が(土壌になりうる土が)あるということなのでないのか・・・? そう考えてみると、あの何気ない光景はなにか異様なもののようにも思え、冷たさを感じる。「哀れなのはミミズというより、実はおれたち・・・」という翳がよぎった。

 「自然が遠くなった」という言い方があるけれど、ここに言う“自然”というのは「自然の循環(サイクル)」を意味しているとおれは思う。ミミズが干からびるだけでなく、鳥の糞は車のボンネットの上に落ちるし、食料を求めて山から下りてきたタヌキは車に轢かれ、その死骸は行政に「回収」され「処理」される―これらは「土に還らない」。年に1回降るかどうかくらいの雪が降っても、都市部の人々は喜びよりも交通機関の乱れを心配する。*3

 実際のところ、自然は遠いというよりも、人間が“自然”を遠ざけてきた。

新しい農業の哲学的原理は、土壌を化学システムではなく生物システムとして扱う。化学と遺伝学ではなく、生物学と生態学に基づいている土壌を、産業システムとしてではなく、生態系として扱わなければならない。

 工業としてではなく、生命系として―これが最善策(ないし延命処置)だと氏は述べる。ひいては、農業の非グローバル化の提言。

 何かしら革新的な技術が発明されれば解決されるということはないのか・・・と、ちらと思ったりもしたけれど、その期待は捨てた方がよい。モンゴメリー氏的に言えば、それは「科学技術が生活を改善すると信じる」前世紀的発想とのこと。

 もしそのような発明がされたとしても、それは生産性と共に、さらに強い消費性や土壌の侵食を生み出すことになる。資源が生成されるよりも速く消費されてしまうという問題を技術では決して解決できないし、生産力を維持するために土壌肥沃度の欠乏を埋め合わせることはできない、ということは歴史が物語っている―本書では灌漑や鋤、鉄の使用など、今まで「よき物」と思っていた道具や技術がそうした例として出てくるためにたまげる。アスワンハイ・ダムの話は池澤夏樹の『パレオマニア』で小耳に挟んでいたけれど、あれはもはや皮肉としか言いようがない。クレオパトラも笑う。

 ところで、最近は太平洋諸島の文化人類学的成果が出始めたのだろうか・・・?『銃・病原菌・鉄』でも採りあげられていたけれど、この本でもメラネシアなどの人々の歴史から人間の社会に対する考察が述べられており、イースター島の歴史(これが非常に恐い)や、いくつもの集団があった島と1つの集団に止まった島との対比などがなされている―著者は地球を“島”に喩える。しかし著者自身が言うように、この考察から、希望はちょっと見出し難い。

 残念ながらこの本には、最善策・目指すべき方向は提示されていたけれど、「ずばり解決策」と呼べるものは示されていなかった。現時点では見当たらないのかもしれない。ただ、一つはっきりしたことは、教育や医療と同様、農業は「市場原理で測ってはならない」ということである。しかし世界は市場原理が席捲している。化学肥料や農薬、農業機械などの産業・企業が「じゃあ減らします」となるかといえばそうもいかないだろう。

 最近の例で言えば、日本の農業に変えるべき点は少なくないのだろうが、TPP騒動は、自動車などの産業と農業を同じものさしで測ろうとすることによる摩擦から生まれているように思える。


言及されていない、とある点

 以上、『土の文明史』に『ミミズと土』と『大気を変える錬金術』(ないし窒素)を絡めながら概観してみた。

 もちろんこれはごく一部に焦点を当てながらの全体の概略であって、『土の文明史』自体ではもっと詳細にいろいろと検討されています(できれば本書に直にあたった方がよいです)。また、生態系とか人間というのは物理学の用語で言えば「複雑系」の話であり、本書は「土をキーワードにして」歴史を読み解いた本である。だからたとえば、「窒素だけが問題」ではないし、土壌が歴史を動かす“引き金”というわけではない。しかし、土壌が人の営みに欠かせないということ、生活ひいては文明を多分に左右してきた/いるといったことは一つの厳然たる事実だと、本書を読めば恐ろしいほどにわかるはず。

 ところで、実は読中、何かが足りない気がしていた。足りないというより、何かキーになる点がスルーされているような気がして引っかかるものがあった―それは土に“直接”かかわるものではないかもしれない。だから著者は触れないことにしたのかもしれない。

 先に不在地主の話が出た。「地主とか(今だったら、企業の上役とか)ホントろくな奴じゃないな」と思うのは簡単なのだが、ちょっと考えてみる・・・「自力で食料を生産していない」「安ければよしと、財布にやさしい(=経済的な)ものを求める」「農業の如何はお任せ」といった点で地主に似通っているところがあるような場合、実際には自分自身だって地主と大差ないということにはなるかもしれない。

 不在地主の意識にすっぽり欠けていたものは何か。それは未来である。言葉を変えれば、子孫の存在である。

 本書ではしばしば、そのときどきの科学者や調査員などの報告書やレポート、演説などが引用される。そこによく出てくる言葉は「子孫に負っている義務を忘れてはならない」とか「将来の世代の利益に大きな問題が起こる」とか、そういう警句だ。モントゴメリー氏自身も「未来の世代のために繁栄の基礎を保つには」と注意を促したりしている。著者は歴史を繰り返させないためにも、その一助となればと思い、この本を執筆したのだろう。

 しかし今の時代、“子孫の存在”を頭に入れてものを考えたり判断したり、行動したりしている人というのは、どのくらいいるのだろうか・・・。前述したように、土壌の劣化と侵食は人間の尺度からすると遅々としていることが多い。「多い」としたのは、どうやら今は技術革新のおかげで土壌搾取のスピードも格段に上がっているために1代で使い切ってしまう場合もあるようだから。いずれにしても現在は、本書に書かれているような歴史以上に、子孫の存在が“希薄”になっている時代、のように思える。

 たしかに、一口に「未来」と言っても、たとえば安部公房の『第四間氷期』やカート・ヴォネガットスローターハウス5』、テッド・チャンあなたの人生の物語』といったけっこう有名なSFを読んだだけでもさまざな「思考実験」を垣間みることができる。アフリカを扱ったルポルタージュ文学『黒檀』(カプシチンスキ著)などを読めば、「時間の概念」が決して一様ではないことを知る。となると、子孫の存在の捉え方に対してもその正否はいろいろなかたちを持つことになるかもしれない・・・

 つまり、「子孫のため」「未来の世代のため」と言ったところが説得力のほどはそれほど望めない、土を守る“動機付け”としての作用は期待しがたい、そのように思えてしかたない・・・けれども、ならば子孫の存在は無視してよいのだろうか・・・答えに窮してしまう。

 ただ、土の問題は、やはり重い。この重さには、いま生きている自分たちがこれから先ちゃんと食べていけるかどうかといった点はもちろん、子孫とか未来の世代とかの存在があることも1つ、あるような気がする。

 3.11の福島原発問題は、原発が爆発しなくて「最悪の自体は逃れた」と政府もマスコミも言っていた。たしかに、それは間違ではない。しかし放射能は漏れた。結果、確認されているだけでも狭くない範囲の土壌が汚染された―土壌汚染が起きた時点で(ましてや放射能だ)、実はすでに、最悪の事態と言えたのだ。


おしまいに―2つの言葉

 「土の問題」は、身近で根本的な“食”に関わる密接な事柄であるため、危機感を抱く。しかし同時に、いろいろとスケールがデカい話でもあるためにどうしたらよいのかわからず、惑う―もともとおれの気質がペシミストというのも手伝ってか、焦りというかジレンマ、憂鬱、果ては諦めのようなものを随所でもよおし、気が滅入ることもしばしばだった。

 読後「一体どうしたものか・・・」と打ち沈んでいた。

 そんな折り、あらためて思い起こされたのは、日本語特有(?)の言葉だった―「いただきます」と「ごちそうさまでした」。そもそも『土の文明史』をおれが読むに至ったのは、「いただきます」という言葉にひとり合点したことがきっかけでもあった。

 おれたちがいま多種多様な食材、ないし料理を味わえ、栄養を得られるのは、先祖たちがたゆまず栽培植物(や家畜)を育て続けてきたからである。中尾氏曰く「生きた文化財、これすなわち栽培植物」。

 連綿と続いてきたそうした人々の営みのなか、文明発祥以前から、作物のグローバル化はスゴかった。文明発祥以後にしても、その土台には農業があり、同時に、農業は環境の産物でもある。ダイヤモンド氏はそれが人類の歴史に与えた“根本的な影響”を検証してみせた。

 あるいは常に、そこには土があった。土がなければ人は最低限の食べ物さえ得られない。土壌を喩えてみれば、人間のそれよりも薄い「地球の皮膚」であると―そのごく薄の層は生態系に支えられており、人間の生活を支えているのだと、モンゴメリー氏は説いた。昔も今もそれは変わらない。

 作物ないし栽培植物は、“先祖たちの汗(or血)”と“土”の賜物なのだ。

 「いただきます」と「ごちそうさまでした」という言葉にはそうした時空を孕んでいるように思えるし、ひいては“先祖たち”と“土”に向けられる“祈り”にも似た言葉でもあるように、おれは思う。

 また、“祈り”という点で思い出されたこともある。これは祖父(とその兄弟姉妹協働)の稲刈りを手伝った際に抱いた考えなのだけど、“お祈り”をする気持ちと“お祝い”のそれとは底の方で深いつながりがあるのではないだろうか。収穫の喜びにちょっとした宴が催され「ほらほら神さまたちも参加してよ」とノリで思ったりとか、嬉しさ余って何かに感謝したくなったりとかで、自然とお祝いがお祈りを誘発したのではないだろうか・・・?そんなことを、おじじ・おばばと談笑しながらふと思ったのだった。

 この仮説も思い合わせてみると・・・「いただきます」と「ごちそうさまでした」という言葉には、「食べ物がここにあることに対するお祝い」ひいては「食べる喜び(嬉しさ)」も秘められていたりするのかもしれない。生きるとは、食べることである。


 とにもかくにも、この2つの言葉を食前・食後に(1人のときでも)忘れないようにする。*4無意味な、もしくは迂遠なことかもしれないけれど、気を滅入らせてひとり諦念に安住しようとする前に、まず、そこから始めてみる―この2つの言葉(とその心)を大事にしよう/しなければと、あらためて胸にした。



土の文明史

土の文明史

*1:ただし現在の食料生産量は世界の人口を養うに十分であり、にもかかわらず飢饉がなくならないのは輸送システムの偏向ゆえ。

*2:(先行)とありますが、本エントリーも含め、それぞれ独立したエントリーです。

*3:アルファルトがひび割れてその隙間から草が茂るとか、打ち捨てられた家屋が木や蔦に覆われ、取り込まれるとか、これは“自然”の姿。

*4:語源は問題じゃない。この言葉が広く浸透してきたという点が大事。