諸文化の根にある文化と「いただきます」 『栽培植物と農耕の起源』

 「アニメは文化だ」—ツタヤに行きアニメコーナーを見やるとこんな惹句が掲げられている。はじめてこれを目にしたときは「え、これまでは文化じゃなかったの…」とむしろちょっと驚いた。それは当たり前のことをわざわざ宣しているように思ったからだが…さておき、あらためて考えてみると、「文化」と聞いて一般には、どんなものを思い浮かべるだろう…?

 音楽、美術、建築、絵画、文学、映画など、いわゆる芸術やエンタメ。学問・学術、科学、宗教や儀式儀礼。あるいは今の日本ならアニメ、ゲーム、マンガなどのいわゆるサブカル……「文化」は英語でカルチャー、ドイツ語ではクルツールと言ったりして、そのもとの意味は「耕す」だとはよく聞くけれど、もっぱら「心を耕す」という文脈や解釈で用いられることが多い。

 しかし、文化のなかでも最も基本的かつ人類にとって重要な文化とは、文字通り「地を耕し作物を育てる」農業であり、それこそがあらゆる文化の出発点でもある―と、著者の中尾氏は説く。

人類は、戦争のためよりも、宗教儀礼のためよりも、芸術や学術のためよりも、食べるものを生みだす農業のために、(何万年にも亘って)いちばん多くの汗を流してきた。

 50年前の出版だ。


 ここでのっけから話がわき道に逸れて恐縮ですが、一般に世界史と言った場合、主に世界史のなかの政治史を指していることが多く、学校の「歴史」の授業で学ぶ内容もそのほとんどは政治史が占めている(補足みたいに文化史と呼ばれるカテゴリーがあることからも窺える)。けれども政治も、言ってしまえば文化の一つであって、学校で学ぶ「歴史」の背後にはいろいろの要素が渦巻き、反発し、拮抗し、混り合っている。その“流れ”の結果として、(人々の意思や思惑、行動の理由などが捉えやすいためか)比較的わかりやすいかたちで表に現れているのが政治史なのかもしれない。

 その“流れ”をとてもわかりやすく教えてくれて、かつおもしろく読める本に、マクニールの『世界史』という名著がある。

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

世界史 下 (中公文庫 マ 10-4)

世界史 下 (中公文庫 マ 10-4)

 この本は、「他に抜きんでて魅力的かつ強力な中心を成す“文明”と、その文明に隣接していたり、周辺にいたり、あるいは文明間のあいだにいたりした“他の民族たち”がどのような反応を見せてきたか」という視点でもって、諸文化間の関係を検証し世界史を概観していくのだが、しょっぱなに学校で習ったこととは微妙に違うことが示される。「古代四大文明」といえばメソポタミア、エジプト、インダス、黄河というふうに習ったけれど、この本では、いろいろな意味で後の歴史の基礎付けをしたという点で捉えると、メソポタミアギリシャ、インダス、黄河となることが示されている(この場合エジプトはメソポタミアに含まれる)。

 個人的にこれにけっこう驚き、しかしなんとなく腑に落ちる感じもあったのだけど、話を『栽培植物と農耕の起源』に戻すと、あらためて言うまでもなく文明が起こるためには、多くの人口を養いながら余剰も得られる食物の収穫があり、かつそれをある程度維持できる能力をもつ集団が現れることが前提となる。言い換えれば、文明の前提として農業(≒農耕文化)がある。

 ただし、一口に農耕文化と言っても、農業における女性の役割とか農地制度といった社会構造の要素もあれば、農耕儀礼や宗教などの精神活動などもあって、その内実は多岐にわたる。それら農業に関わる要素をひっくるめて専門的には「農耕文化複合」というらしいのだが、本書ではもっと限定的に、というのは農耕文化の根幹の部分に主眼を置いている。

 「農耕文化の文化財といえば、農具や技術の何よりも、生きている栽培植物の品種や家畜の品種が重要」だということで、まず第一に作物それ自体(種類や性質、分布など)を眺めることからはじめ、次に栽培法(栽培技術や道具)、そして作物の加工ないし食べ方(毒抜きの方法や調理の仕方)を検討していく。つまり農耕文化の根幹の部分に主眼を置くというのは、「種から胃袋まで」の様子を見ていくということであって、著者はこの部分を便宜的に「農耕文化基本複合」と呼ぶ。

 なぜこのように分けたかというと、基本複合以外の要素は民族などによって多種多様である一方で、基本複合に関しては民族などに関係なく基本的に(石器時代以来の)おおよそ4系統に限られていたことがわかっているからである。その4つの系統とは「根菜農耕文化」「サバンナ農耕文化」「地中海農耕文化」「新大陸の農耕文化」。これは前述の『世界史』における四大文明のようなもの(そして人類にとり四大文明以前の決定的な現象)だろうと思う。人間はそれぞれの農耕文化内でそれぞれ独自の作物や技術を発達させていき、歴史が下るにつれて(それは文明が起こるはるか以前からずっと)相互に影響し合ってきたということが本書を読むとよくわかる。同時に、普段何気なく食べている穀物や野菜、果物など食物の出自や旅路を知って、ちょっとした感動を覚えりもした。

 4系統それぞれの文化圏や栽培植物、特徴などを簡単に紹介しておきます。

  • 根菜農耕文化:東南アジアの熱帯雨林地帯に発祥。ヤムイモやタロイモなどのイモ類、バナナ、サトウキビなどを栽培。無種子農業であり、根分けや株分け、挿し木などで栽培し、マメ類と油糧作物(種子を集めて油を搾りとる)がない。後に畑作農業へ。
  • サバンナ農耕文化:アフリカ(ニジェール川付近やエチオピア)からインドにかけて乾燥地帯に広がっていたと思われる。発祥は西アフリカ(?)。シコクビエをはじめとした雑穀、ゴマなどマメ類、ウリやナス、メロン、キュウリなどの果菜類を栽培。油糧作物あり。イモ類がない。
  • 地中海農耕文化:発祥は今の中東あたり。オオムギ、コムギ、ダイコン、ホウレンソウなどを栽培。根菜・サバンナ農耕との大きな違いは冬作物を生産したことで、家畜化した動物も多い。灌漑農業の発明。農業を開始するにもっとも適当な植物が豊富だった地域でもある。
  • 新大陸の農耕文化:ジャガイモ、サツマイモ、カボチャ、トウモロコシ、トマトなどを栽培。旧大陸の根菜・サバンナ農耕の2つをあわせたような農耕文化で、南米北部やカリブ海の低地熱帯と、アンデス高地などで地域によって大きな違いが見られる。油糧作物以外はとにかく優れた作物が多い。

 この4系統のうち、日本はどこに属するかと言えば根菜農耕文化ということになるが、もう少し厳密に言うと、その影響が北上したときに気候が熱帯から温帯になったことによって形成された照葉樹林文化」に属する。その中心地となったのは中国の西南部でロロ系民族の居住地であるらしい。ロロ系民族とは聞きなれないけれど、本書の説明によると意外に大きな民族である。この照葉樹林文化はインド経由などで入ってきたサバンナ農耕文化の影響も大きく、ワラビやシコクビエ、コンニャクなどを栽培すると同時にイネが発達し、また茶、絹、漆、柑橘、シソ、酒といった特徴的なものも作り出したとのこと。生産物を見ただけで日本がここに属するのは一目瞭然だ。

 そして現在では、この4系統が地球上の至るところで混ざりあい相互に吸収しあっていることは、普段の生活を振り返ってみるだけでもよくわかる。作物のグローバル化ってすごい。もちろんおれたちのためにやったというわけではないけれど、数え切れない人たちが過去何万年ものあいだ農業を営みつづけ、作物を改良したり栽培技術を発達させてきたりした結果、現在のおれたちはこれだけ多種多様な食物を口にすることができる(と考えると、嫌いなトマトを出されたとき、食べたくないのになんだか残せない泣)。

 ところで地中海農耕文化では、歴史上「農業革命」と呼ばれる現象が4回ほど起こった。灌漑農業とか三圃制とかの確立などがそれで、地中海農耕の中心地自体は途中からはヨーロッパの地へ移っていったとはいえ、他の農耕文化に関しては(地中海農耕でいう)第1次か第2次くらいまでしか起こらなかったらしい。人類最初の文明と言われているメソポタミア文明がチグリフ・ユーフラテス川の地で成立したのは、その背景に「農業を開始するにもっとも適当な植物が豊富だった地域」で起こった地中海農耕文化があったからなのではないかという推測はできるけれど、この農耕文化圏に限って農業革命が何度も起こった理由・原因について本書では深く触れられていなかった。

 これについてはおそらく、朝日新聞の「ゼロ年代の50冊・第1位」で話題になった『銃・病原菌・鉄』という本に詳しいかもしれない…という気がする。未読である。というかこの本を読むためにマクニールの『世界史』を最近読み返して、そのとき作物とか馬具とか鉄器といったモノや道具、その発明や改良、普及がものすごく重要な役割を果たしてきたのだなと、一応そういうことは知っていたはずなのに、驚きと共に再認識したのだった(知っているだけで実はわかっていなかったらしい)。そこで『栽培植物と農耕の起源』という新書のことを思い出し、積読山から引き出してきて寄り道したのだった。

 実は、宮崎駿がこの本に影響を受けている(本人談)。ナウシカ以前にすでに読んでいたようだが、彼はこの本を読んだときにビビッときて、感銘を受けたらしい。宮崎駿作品といえば「空」もしくは「空飛ぶ少女」が特徴だったりするけれど、同時に「自然」あるいは「植物」というのも大きな特徴の一つだ。『ナウシカ』しかり『ラピュタ』しかり『もののけ姫』しかり。ラピュタに登場する少女シータはムスカに向かって叫ぶ―「人は土から離れては生きられない!」


 人は土から離れられない。どんなに文明が栄え、地面をアスファルトで覆い、機械やテクノロジーが進歩し、生活が便利になり、芸術が極められ、エンタメが隆盛しても…その基底には「食物を食べる」というごく当たり前かつ不可欠な習慣があって、その習慣の安定を可能にしているのが農業であり(牧畜や漁業も)、農業によって作物が得られるのは、土があるからだ。農業が土と共にあるというのは、人も土と共にあることを意味する。

農業とは文化的にいえば、生きている文化財を先祖から受け継ぎ、それを育て、子孫に手渡していく作業ともいえる。

 上は中尾氏の言で、「生きている文化財」とはずばり、栽培植物のこと。人は土から野生種をもらい(見つけ出し)、選り分け、土を前提に品種改良を繰り返してきた。現代の農業や作物、もしくは食生活には多くの課題が山積しているけれど、とにもかくにも、今ある多種多様な食物・作物はすべて、最初からその姿だったわけでなく、土と先祖たちの汗の賜物なのだ。

 食事の前には「いただきます」の一言を、忘れないようにしようと思った。



栽培植物と農耕の起源 (岩波新書 青版 G-103)

栽培植物と農耕の起源 (岩波新書 青版 G-103)