みきみきツンパ、かるていは? 『パンツの面目 ふんどしの沽券』

 パンツとは他人に対する陰部の最後の砦。しかし「勝負パンツ」というものがあるように、ときに人は、生殖器よりもそれを被い隠す下着を見られることの方をより意識することもある。100年ほど前の日本はまだフンドシが一般的だったようだけど。

 米原万里の著作は5年ほど前に、一時期やたらに読んでいたこともあったのに(『真夜中の太陽』以外はどれもおもしろい、飽きがこない)、この本に限って今まで読んでいなかったなんて…なんたる不覚だ!彼女の著作は、異文化・言語間のズレによって起こる悲喜劇から真面目で学術的な内容まで、骨太なエッセイが満載されているが、下ネタ系アネクドート(小咄)やエピソードも頻繁に紹介されている。

 たとえば、著者の妹がイタリアへ料理の修行に行ったときの話。数人の男子と共に調理をしている際、その内の一人が彼女に訊いた。「日本ではスープのダシに何を使うんだい?」。彼女は答えた「カツオとか」。男子は皆一瞬きょとんとした後、ふいに大爆笑。なぜ笑われたのか解せない彼女は、後に知ったのだった。日本語の「カツオ」という言葉は、イタリア語で「男根」を表す言葉と発音がとても似ているということを。

 あるいは、イギリス大使館は大抵その国の景色の良い一等地に建てられている。ある時ロシアのイギリス大使館が引っ越すということで、ロシア政府から日本大使館に、その土地に引っ越されてはいかがかという申し出があった。日本は大変喜び一も二もなくその申し出を受けようとしたが、住所を聞いた途端、辞退した。住所に「ヤキマンコ通り」とあったからだった。(ちなみに「恵比寿」という言葉はロシア語で「男根」を表す言葉と発音が似ているらしい。)

 以上のような下ネタ系エピソードの数々の中に、ワイシャツにまつわるトリビアがあったのもよく覚えている。ワイシャツと言えば、生地が薄くて脇にスリットが入った無駄に丈の長い衣服だが、なぜ前端・後端はあんなに長いのか。実は少し前まで、あれで陰部を(パンツというかフンドシのように)覆っていたからで、あの形状はその名残らしいのだ。実際、シベリアに抑留された経験を持つ人たちの話などによると、ロシア人たちはパンツを穿いていなかったらしい。そしてワイシャツの下端が黄色かったと。

 明治生まれの父親がフンドシ愛用者だったこともあって著者はフンドシに対して愛着や誇りを抱いていた。「義理と褌は欠かせない」とか「他人の褌で相撲をとる」といった褌にまつわる慣用句、国技の相撲の力士は褌一丁と、日本にはフンドシが馴染み深くもある(あった)。また著者は幼少時にプラハソビエト付属学校に通っていたが裁縫の授業で初めて作らされたのが、なぜかパンツだったらしい。そんなこんなあって小さい頃からフンドシやパンツといった下着に関心を持っていた著者は、しかしこの連載を始めてからすぐに、この「下半身を被う肌着」というテーマは「わたしの一生を捧げても間に合わないのではないか」と思ったという。

 あとがきに曰く、はじめは「グローバル・スタンダードに押しつぶされそうな、ナショナルアイデンティティー、要するに日本固有の価値や拠り所を見直してやろうと、ちょっと応援してやろうというような気楽な気持ち」で引き受けたものの、「進めば進むほど途轍もなく奥深く途方もなく広大な世界であることを思い知らされた」「第一に、肝心のフンドシがナショナルな価値であるどころか、パンツよりもはるかに広大な地域を長年にわたってカバーしてきた実にグローバルな代物であることまで判明した」。

 序盤はエピソードや自身の体験などを絡めたエッセイで笑えるところも多く、途中からは真面目で学術的な色が濃くなる。それにしても興味深いな、パンツ。

 世界的に、あるいは歴史的に見てみると、パンツは(というか下着事体が?)決して一般的ではないのである。日本では褌が一般的な時代もあったが、大森貝塚を発見したことで有名なモースや明治の風刺画家ビゴーは、褌姿の人々を多くスケッチしている。というかパンツ(ズボン)のあの形状は日本だけでも3度も定着しなかった歴史もあって、将来はスカートが復権するかも…?生理用品のナプキンも今のような形になったのはつい最近の話のようで、また人が下着を着用するのは恥ずかしいからではなくて、隠したから恥ずかしくなったようなのだ。円地文子のおばあちゃん曰く、江戸時代の鳶は素っ裸で往来を堂々と歩いてた。ていうかキリストが磔にされたときのあの腰の布はパンツ?フンドシ?ただの腰布?…ズボン(パンツ)のあの形状は遊牧騎馬民族発祥と言われているが、馬に乗っていたからあの姿になったのではなく、もしかしたらあの形だったから馬に乗るようになった可能性もある…

 といったような話がふんだんに盛り込まれている。とりあえず下着を研究したいという人には必読必携の書だろう。余談だが「チラリズム」の言及も見逃せないね―パンツは全体を見せるのではなく、いわゆる「パンチラ」によってその魅力が最大限に引き出される。

(ところでズロースって知っているだろうか(おれは実物を見たことない)。パンツよりも丈が長くて…たぶん『魔女の宅急便』のキキが穿いているものだろう。ロシア語で「こんにちは」という言葉の発音は、日本語で「ズロース一丁」と言ったときのそれに似ていると、べつの著作で紹介されていた。)

 このエントリーのタイトルにした「みきみきツンパ、かるていは?」は、おれが小学生のときに流行っていた問いかけで、後に「イエスかノーか半分か?」と続く。単語を反転されると「きみきみパンツ、はいてるか?」になる。他愛のない言葉遊びとはいえ、よく考えると、何故、わざわざ「きみ、パンツ穿いてる?」なのだろう。この本を読んでおれは、これの言いだしっぺはもしかしてシベリア抑留経験者ではないかと勘繰った。

 シベリア抑留と聞くと悲惨なイメージで、事実そういうものだったが、一方で笑い話もけっこう多いようなのである。たとえば、スラブ女性の胸は豊かで(巨乳が多い)、日本人と比べて、というより世界的に見てもトップレベルらしく、「豊胸」ではなく「貧胸」手術を希望する人が多いとかなんとか…それはともかく、抑留された日本人男性たちの中にはスラブ女性の胸が大きいことに喜んでいた人もいた。実際、こんな川柳があったらしい。

オッパイが先に出てくる街の角

 この川柳自体はまたべつの著書で紹介されていたものだけど、こんな川柳を詠ったのであれば、ロシア人がパンツを穿いていないことを冗談にしないわけがない!とおれは固く信じる。そしてその産物が「みきみきツンパ、かるていは?」なのではないだろうか…とか言ってどっかの芸人が言い出しただけなのかもしれない可能性もあるが。

 『打ちのめされるほどすごい本』で紹介されていて気になった三浦雅士の『身体の零度』を、そういえばまだ読んでいなかったことを思い出した。男が穿くともっこりしちゃうレオタード。



パンツの面目ふんどしの沽券 (ちくま文庫)

パンツの面目ふんどしの沽券 (ちくま文庫)