学びを通して養われるもの 『刑務所の中の中学校』

 『イワン・デニーソヴィチの一日』や『ショーシャンクの空に』、佐藤優の『獄中記』等々、強制収容所や牢獄、刑務所といった空間には世間と隔絶されている分だけ特殊な雰囲気、ある種の魅力がある(入らないほうがよいし、入りたくはないけど)。ソルジェニーチンやドストエフスキーなんかが流刑処分を受けた経歴があるのは有名な話。

 彼らがいたのは文字通りの牢獄だったが、長野県は松山市に、「松山市立旭町中学校桐分校」という世界で唯一の「刑務所の中の中学校」がある。生徒はいろいろの理由から義務教育を修了することができなかった受刑者たちで、昭和30年に開校された。開校当時は戦後間もないということもあり生徒の平均年齢は20歳前後だったが、教育制度が整備されたことで平均年齢は40〜50代と上がってゆき、また現在は外国人生徒の割合も増している。

 おれはこの学校の存在を、昨年秋に放送されたTBSドラマ『塀の中の中学校』をきっかけに知った。脚本は内舘牧子で、この人たしか横綱審議委員朝青龍を批判してたおばさんだよなー観なくてよいかと一瞬思ったが、オダギリジョー渡辺謙などが出演だったことから思い直して観てみたところ、思いのほか良いドラマだった。先日、同じくTBSの「報道特集」という番組でこの中学校が特集されていたのをたまたま目にしたこともあって、そういえばドラマの原作に当たると思われるこの本があったなと、手に取ってみた。

 桐分校にはおれたちの税金ももちろん使われている。もし「犯罪者にそこまでする必要あるのか?」とか「外国人にまで?」とか疑問が過ぎった人は、とりあえず読んでみる価値あり(ドラマでは視聴者側の至極まっとうな言い分の代弁者として、オダギリジョーの役がある)。


 本書の著者は桐分校で35年間教官を勤めた角谷(すみや)敏夫氏。外部の人間が取材してまとめたレポート・報告ではなく現場の人間が書いたという意味で、客観性には欠けるかもしれない。ただこの著者の場合、桐分校について語ることが(期せずして)そのまま自分を語ることになっているのかもしれない。小説で言うと、3人称(or神の視点)ではなく1人称語りということ。現場にいた者だからこそわかる、現場にいないとわからない、そういうことは多い。

 この本を読むと、桐分校やその生徒が様子はどんなふうかだけでなく、角谷氏の生徒や桐分校に対する想いが伝わってくる。また氏の「教育理念」は示唆に富んでいて、一般に敷衍しても一考の価値がある。このエントリーでは角谷氏に焦点を置こうと思う。


 まず角谷氏の生徒たちに対する基本的な視点は、「彼らは中学生であると同時に受刑者である」というもの。「あるときは中学生、あるときは受刑者」ではなく、常に中学生であると同時に受刑者。生徒たちに対する教育は「義務教育」であると同時に「矯正教育」なのである。

 生徒たちは普通、読み書き計算がほとんどできないか、まったくできない。そのことが起因してコンプレックスを抱いていたり世間で立ち行かなくなって犯罪を犯してしまった人たちである。角谷氏曰く、彼らは「本当に学びたがっています。知りたがっています。そして、探しています。自分が立ち直る方法を。彼らはなんとか己を克服しようと日々学んでいます」。

 なんというか今の社会、おれたちは当たり前にやっているけれど、読み書き計算ができないと、損するというより、生きていけないに等しい。空気のように当たり前に文字が溢れている。

 おれは3年ほど前に「言葉がまったくわからないってどんな気分なんだろうか」と思ったことから南米に一人旅したことがあって、当然スペイン語がわからないためいろいろ難儀だったりトラぶったり、それ以前に、なにか“不安”がつきまとっていた。だから向こうに着いてから2週間くらい経って日本人宿に泊まった際、言葉が通じることにものすごく安堵したし、日本語の本を読めることがやたらに嬉しかったのを憶えている。桐分校生の以前の日常はたぶんあの時の感覚に近いのだろうなと思う。


 そんな彼らは桐分校で基礎学力を身につけるために励む。この中学校では1日7時限(1回60分)と夜の自習3時間を週5日。夏休み・冬休みはなし。というハードな1年間を過ごす。初めの方は「辞めたい」と言い出したりクラスに協調性がなかったりで気の抜けない毎日のようで、しかし梅雨を越せればなんとか起動に乗るようになる。無事1年間を乗り越えることができれば彼らは知識・知性を得て、それが自信にもつながる。

 ただし桐分校で学ぶことは、「1冊の本にたとえれば目次」の部分にすぎないし、学問はもっと広くて深い。それでも彼らにとってはかけがえのない知識・知性であるのはたしかで、実のところそれがただの知識・知性ではないからでもある。角谷氏の日記から抜粋。

その知識、知性というものは、単に学問や物事を知ったり、計算や読み書きができるようになったり、歴史の年号を覚えたというものではありません。自己教育力を身につけたということです。自己を統制し、自分を自分で教育する力です。自分はどうあるべきか、どう生きていくべきかを考え、そのためにはどんなことにどう努力していくのかを考え、それを実行していく力がついたということです。

 この力は罪の償いにもつながると角谷氏は考える。「本人が自分の罪を本当に知り、罪の深さを自覚し、ふたたびそのようなことはやらないという心が生まれ、それを実践すること」、それが償い方の1つでもあると。そして「この心が生まれ、実践を生み出すのはやはり教育であると思う」と。

 加えて忘れてならないのは、生徒たちが卒業後戻っていくのは、彼らが犯罪を犯してしまった社会と同じ社会だということである。桐分校で学ぶことは「目次」に過ぎなくて、つまり中卒程度では生きていきにくいことは依然として事実。ということは、ただ知識を得るだけではあまり意味がない。知識や自己教育力の他にも、あるいはそれを活かすためにも、もっと欠かせないものがある。角谷氏曰く、

私はいつも彼らに、桐分校の学習を通して「生きる力」を養っていって欲しいと思いながら授業をし、彼らと向き合ってきました。

 「一般刑法犯の再犯率はおよそ4割、しかし、桐分校卒業者の再犯率はほぼゼロに近い」と「報道特集」で言っていた。


 『コーカサスの金色の雲』のエントリーで「“死にたくない”と“生きたい”というのは同じことのようでまったく違うのかもしれない」と書いたけれど、桐分校生が犯罪を犯したとき、彼らは「このままじゃ死ぬ」とか「死にたくない」とか思っていたかもしれない。それが1年間桐分校で学んだことで「生きたい」に変わるのではないか。

 思うに、「死にたくない」と思って行動すると利己的になりがちで、逆に「生きたい」という気持ちであると相手を貶めるような行動はしないのかもしれない。というのは、桐分校の卒業生が「生きたい」と思うようになっているとして、それはきっと学ぶ喜びを知ったことで「もっと学びたい」という気持ちが芽生えたことにもよるだろうと思うし、素直に「学びたい」と思っているとき、人は謙虚になる。学ぶには教師や友人、家族、あるいは本の著者や作り手といった“他者”の存在を必要とするから。

 謙虚と言えば、角谷氏は「感動する」ことの大切さに随所で言及している。正直な話、おれは巷にあふれる「感動の〜」という形容を多用した広告・キャッチコピーのせいで「感動」という言葉に抵抗感…嫌悪感さえ抱きがちになっていて、初めの方は「感動」という言葉が意外なほど出てくることにやや鼻白んでいた。でも桐分校生の様子を垣間見ているうちにさほど気にならなくなった。「謙虚さ、素直な気持ちにならないと感動はしません。感動はできません」と角谷氏。「感動は自信につながり、生きる力につながっていく」と。

 先に「矯正教育」という言葉が出てきたけれど、そこで行われているのは同時に「義務教育」である。そしてここまで見てきたように、桐分校で生徒たちは、義務教育過程を辿ることで「自己教育」や「生きる意欲」を養っていく。「こんな勉強何の役に立つの?」と考えがちだけど、学校の勉強とか学ぶことっていうのは、実はこういうことなのかもしれない。角谷日記から抜粋。

教育とは希望を語ること。学ぶとは生きる力を養うこと。教育とは待つこと、忍耐することか。もう一度問い直そう。教育とはある面では待つこと。人間とはなにか。自分とはなにか。たった一度限りの人生をどう生きていったらよいのか。そのことに気づくのを待つこと。もちろん手をこまねいてなにもせずに待つということではない。いろいろなことを働きかけ、一緒に学びながら彼らがそれに気づき、考えるのを待つということ。そして生きる力を育てること。そのために私は1年間、彼らの閉ざされた心の扉をときに激しく、ときにやさしくノックし続け、一度でいいから感動に胸を震える場面に出会わせたい。一つでいいから心のより所となる経験をさせたい。そう思いながら授業を続けよう。

 桐分校は大勢のさまざまな人々・団体に支援されて成り立っている。開校時に建てられた歌碑が50年経った今も目立つところに立っているようで、それは開校当初の気概や理念がしっかり受け継がれているということなのだろう。そういえば、なぜ長野県なのか?

 長野県(人)は教育に対してとても熱心らしい。刑務所の中の中学校を設立することを発案したのは、実は国ではない。長野県の松本少年刑務所の職員や県の教育委員の人たちだったとのこと。江戸時代には全国の寺子屋の8.62%を長野県が占めていて国内1位の数だった。また日本初の障害をもつ児童を対象にした学級が設置されたのも長野県で、明治29年、その名も「晩熟生学級」。このネーミングだけでも意識の高さを窺わせる。

 角谷氏自身も人間が深い。氏は大学で歴史を専攻していたらしいが、卒論は「幕末期に於ける農民意識の一考察」で、すでに無名の人々に目を向けていた。就職先が桐分校に決まり、夜行列車に乗って初めて長野の地に立ったときには、こう思ったらしい。

この仕事を天職にしよう。天職は最初から人間に備わっているものではなく、自分で育てていくものだと思いました。

 「そして、桐分校は私の人生を賭けた仕事、職場に」なっていった、と。

 おしまいに、日記にある「入学式の前のオリエンテーションで生徒に話したこと」で1つ耳が痛いことがあった。

四:集中して先生の話に耳を傾け、しっかり聞き取ること。彼らは人の話を聞き取ることがとても苦手でできない。それは生き方や犯罪にも関係する。

 数日後の日記には入学式のリハーサルが「うまくできない。私の話を聞き取ることができない。自分の思い込みで行動を取る。」と書かれている。これは自分の身にも憶えがあるし、周囲を見てもけっこういる。


 余談だけど、ドラマでは千原せいじの役どころが何気に興味深い。



刑務所の中の中学校

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