寺田寅彦の「津波と人間」を読んで思ったこと

 3・11から早3ヶ月ちょい。なんだかんだ言いつつも震災それ自体に対する関心は自分の中でやや薄れ…ということで、1933年3月3日に起きた昭和三陸津波と甚大なるその被害の報告を受けて寺田寅彦が書いた「津波と人間」を再読した。

※今回のエントリーはこの随筆を既読であることを前提に書いていまして、随筆全文が青空文庫にされています。読んだことなかったり興味のある方は、むしろ、このエントリーは読まなくても構いませんので、そちらを一読してみてください→「津波と人間」

 このエントリーは「津波と人間」の感想―やや拡大解釈の気味のある感想です。随筆を読んで「他の人はどう思ったのだろう」とか「どう読んだだろうか」とか思った人の参考になればこれ幸いです(長いですが)。


 この随筆を読んだときに思ったことが、2つほどあった。

 まず寅彦の言う「人間的自然現象」とは何のことか、要点を押さえておくと、�「立場の相違による意思疎通の齟齬、あるいは理解不足」と、�「世代交代と、それに伴う記憶の風化」である。

 �については、寅彦は随筆中で津波をめぐるやりとりを再現しているけれど、今回の地震においてはご存知のように、津波についてよりも、原発の議論でこの現象が顕著なっている模様。�については、「これから先の日本では(日本人が子孫のことを多少でも考えるのかどうか)甚だ心細いような気がする。(中略)一代前の言い置きなどを歯牙にかける人はありそうもない」と寅彦が述べていることから、少なくとも明治以降の日本についてはその様子に大差はなかったよう。

 ところで「自然災害」と聞くと、「ある日突然理不尽に降りかかってくる」というイメージで、事実、現在の科学でもはっきりと日時を指定する予言などできない、偶然の現象である。しかし同時に、三陸沖の地震が過去に何度なく繰り返されていることがよく知られているように、自然(のサイクル)はおおむね周期的にめぐる。寅彦の言い方を借りれば「地震津波は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって」きて、「自然は過去の習慣に忠実」であり、「科学の法則とは畢竟“自然の記憶の覚え書き”」なのである。

 つまり、地震津波、台風、火山噴火などの起こるタイミングそのものが偶然であることはたしかなのだが、同時に周期的でもあって、それだけなら単に「自然現象」で済ませられるところが、人間の立場からすれば「(自然)現象」は「(自然)災害」に変わる。そこには「人間的自然現象」が大きく関わっているのだと、寅彦は言っているである。

 そしてその人間的自然現象は(人間が人間であるかぎり完全な克服などありえないだろうけれど)、人間の寿命を10倍100倍に延ばしたり、地震津波の周期を10分の1か100分の1に縮めたりなんてこともやはりできないのだから、と以下の結論に寅彦は至った。

残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないようにする外ないであろう。

 過去の人々の経験的基礎を無視していると、それが結果的に「正しく地震津波の災害を招致する、というよりはむしろ、地震津波から災害を製造する原動力に」なってしまうのだと。代わり映えはしないけれど、心に留めておくべきことだろう。


 寅彦のこの結論から、おれが思った2つの内、まず1つ目。

 話が少しわき道に逸れてしまうけれど、たとえば戦争について。「戦争を伝える」となると「東京大空襲」「ひめゆり」「広島・長崎への原爆投下」といった事件にばかり、スポットライトが当てられがちである。もちろんそのようにして「戦争とは何か」を知ることも必要なのだけど、「戦争を伝える」ことの目的が「同じ過ち≒戦争を繰り返さないため」であるのであれば、「どうして(どのようにして)戦争が起こったのか」を知る必要もあるのでないだろうかと、ときどき疑問に思う。

 自然災害や戦争は、歴史の中の1つの“結果”としての事件に過ぎないとも言える。その事件が起こるまでの前後関係、とくに前の部分である原因や過程も知らないと、「戦争とは、自然災害とは何か」をどんなにイメージできたとしても、それが起こる兆候に気づいたり、具体的に防ぐ方法は見出せない。災害や戦争を語り継ぐとは「過去を語り継ぐ」ということであって、過去とはいわば「現在に至るまでの過程」のことでもある。

 こういうことは自然災害や戦争だけの話ではなくて、芸術、学問、職場、家族、趣味…なんにしても過去の記憶や記録がそこにはある。それらを現在や未来に活かすには伝える必要があって、でも、その伝える内容や伝え方を、語り手・伝え手は少し見直す必要があるのではないかと思った。

 一方で、記憶や記録を活かすのは“受け手”だということも忘れてはいけないことである。戦争のたとえで言えば、そもそも若年・中年層にとってはほとんど関係ないと思えたり、あるいは無関心なのが普通であったりする。ぶっちゃけてしまえば、おれ自身、あの戦争だとかに責任を感じることなどできない。自然災害に関しても、自分自身のことだけを考えるのであれば、寅彦の言う「捨て鉢の哲学」もあながち捨て鉢とも言い切れないと思う。しかし反面で、そういう過去に対してまるっきり無関心ではいられないところも自分にはあって、それはやっぱり、まるっきりの無関係ではないからなのだろうと思う。

 過去を知らないと、未来を想像できない。ビスマルクの名言に「愚者は経験に学ぶ。賢者は歴史に学ぶ」というのがあるけれど、少し付け加えて「愚者は経験に“だけ”学ぶ。賢者は歴史に“も”学ぶ」ではないかと思う。たしかに歴史は100%真実でないことも(少なからず)あるとはいえ、理屈っぽいことを言うと、歴史(ないし過去)は現在を相対化して、現在といういわば「主観の世界」に、「客観的な視点」を提供してくれる。そしてそんな現在と過去が合わさったところに「未来」が見えてくることがあるとも思う。未来にカギカッコをつけたのは、それがドラえもんのように知っている未来ではなくて、作家や漫画家が抱くような「作品の構想」に近い感じだから。その「未来」から現在に立ち返ることで、先につながる“今”が活きるのではないかと。

 ということで、受け手の側も、過去に耳を傾ける努力がもう少し必要だと思う。受信拒否をしていたらメールが届かないように、「人(先人)の話を聞く」という姿勢がなければ他人がなにを言おうと耳には入らない。人間関係のこじれや友達の悩みを聴いたりするときにも同じことが言えるだろうし、学ぶとは「過去の人々の記憶を知ること」だったり、「他人の意見を受け入れること」だったりするのかもしれないと思った。


 2つ目は、寅彦が先の結論から具体案を提示している、最後の部分を読んで思ったこと。

 「経験的基礎を無視して他所(よそ)から借り集めた風土に合わぬ材料で建てた仮小屋のような新しい哲学などはよくよく吟味しないと甚だ危ないものである」と、また「これら災害(地震津波)に関する科学的知識の水準をずっと高めることが出来れば、はじめて天災の予防にもなるだろう」と寅彦は述べている。

英独仏などの科学国の普通教育の教材にはそんなものはないと云う人があるかもしれないが、それは彼の地には大地震津波が稀なためである。熱帯の住民が裸体で暮らしているからと云って寒い国の人がその真似をする謂われはないのである。

地震津波の災害を予防するのはやはり学校で教える「愛国」の精神も具体的な発現方法の中でも最も手近で最も有効なものの一つであろうと思われる。

 「愛国」という言葉は、当時がいわゆる戦間期であったことを考えるとあまり抵抗なく使われていたと思われるけど、寅彦は(随筆から窺うに)「愛国教育」という言葉に若干不信の念を抱いていたのかもしれない。でないと「最も手近で最も有効な」とわざわざ二重にして強調しないのではないか。

 さておき、この最後の提言は「(自分や家族のために)自分が住んでいるその土地の気候や風土を知って、地震津波、あるいは火山や台風に対して有効な対策や備えをすることで被害を最小限に抑えることができれば、それこそまわり回って自ずと国のためになる」ということであり、「国家なんて大きなものを考えなくてもよい」という含みがある。ここで「地域性(土着性)」の言及に目が留まった。

 周囲の友人たちを見ていると、自分自身のことしか頭にない人と、なんでも日本とか世界とか大きく捉えてしまう人とに大別できる(おれは後者ですね、うん)。前者は「その場でただただ地団駄踏んでいる人」、後者は「地球の裏側に向かってぴょんぴょんジャンプしている人」という感じだろうか。どちらも極端で、滑稽でもあり、ちょっと残念である。ところで「等身大」という言葉をよく耳にするけれど、「地域性」というのは、「等身大」という言葉が意味していることに近い概念、ないし視点かもしれないと思った。

 ただ「等身大」という言葉にも一癖ある。この言葉は「誇張も虚飾もないありのままの姿」とか「持っている力に見合うこと」といった意味合いだが、それは「ただその場に立っただけ」という感覚ではないだろう。「等身大」という言葉のもつ比喩性でそのまま譬えると、腕を伸ばしてor上に上げて手が届く範囲とか、自分の足で歩いていける範囲を含む大きさ。「無理せずに」というよりは、「ちょっと無理すればまあ大丈夫かな」くらいの、「等身大」とはそれくらいの“広がり”をもっている大きさのことではないかと思う。「背伸びばかりしてはいけない」と言っても、背伸びできる“余裕”があるかないかではまったく違う。

 寅彦の提言に見える「地域性」に、こういう「等身大」的なものを感じた。「自分の住んでいる地域(地元)」が基点であり、そこには自分と自分の家族、そして友人、知人、隣人がいる。もちろん「自分の住んでいる地域」のことを考えるときにはその“外”にあることを知ることも大事になってくるけれど、それが“腕を伸ばす”べきところだろう。「私は何者か(本当は何がしたいのか)」とか「世界や人類の未来」とか考えてしまうよりも、「自分と自分が住んでいる土地や地域との関わり」を考える方がずっと肌感覚がある気もした。*1


 まとめてみると、自分が住んでいる町や土地といった地元の、その気候や風土はどういうものなのかを知り、それを基にどうしたら自分や家族、友人の暮らしを良い方向に持っていけるか・守れるかを考え、具体的なかたちにしていく―基本はこれかもしれない。

 そして、空間的な意味だけではなく時間的な意味でも、過去の記憶や記録には“間接的に手の届く”体験や教訓がある。過去の人々の記憶は欠かせないし、学べることがあるし、“今”に活かせもする。

自分の郷土がたとえ切手のように小さなところであっても、書くに値することはとうてい書き尽くすことができないほどある。

 これは「ヨクナパトーファ・サーガ」で有名なアメリカ人作家、フォークナーの言葉。

 
 寅彦の提言に見られる示唆は、災害対策に限らずいろいろなことに言えることではないかと思った。

*1:2011年8月12日付記―『チャップリン自伝』でチャップリンが寅彦と似たようなことを言っているのを見つけた。『独裁者』の製作背景、および「国家的誇り」「祖国愛」について触れられた件(くだり)―「愛国心などというのは、せいぜい競馬、狩猟、ヨークシャ・プリン、アメリカ風ハンバーガーにコカコーラ等々と同じ、地方的習慣に培われるものとしか思えないのだが、その田舎料理が、今では世界的な食べ物になってしまった」