虫、虫、虫 /『ユリイカ』(2009年9月臨時増刊号)

 数日前に図書館へ行ったとき、本当はまったく別のものを探していたのだけど、ふと、とある『ユリイカ』が目に留まった。それは2009年9月臨時増刊号で「昆虫主義」と銘打たれた特集が組まれたものだった。『ユリイカ』と言えば「詩と批評」の雑誌であり、ために、え、昆虫?というので目が留まったのだろうけど、手に取ってみたのは、“虫”という存在がすでに意識の片隅にあったことも手伝ったのかもしれない。

 というのは、2・3週間前に、以前のバイト先の友人2人と久しぶりに飲み会をした日、待ち合わせの時間よりもやや早く着いたので周辺をうろうろしてみようかと思っていると、『ビッグイシュー』を売っている人が近くに立っていた。最新刊の173号は「つながって暮らす―持続できるコミュニティをつくる」という特集だったが、バックナンバーがあるかどうかも訊いてみると、171号と162号の2冊あるようだった。それぞれの特集は「いま、フクシマ」「虫目!今様、蟲愛づる姫君たち」だった。

 販売者の方は(BNが少なくて)申し訳なさそうな顔をしながらも、それぞれの特集がどんな感じのものか傍で説明してくれていたが、おれが162号に決めたのを知ると「え、虫ですか」とやや拍子抜けした様子だった。おそらく、おれの見た目や雰囲気的には、他の2冊のいずれかを選ぶものと思っていたのだろう。たしかに他のに興味がないわけではなかったけれど、あのときは気楽に読めるものがよかった。といっても頭の片隅には、「進化」を通して再燃しつつある生物学への関心もあったようである。

 それを読んでいると、絵本作家・澤口たまみのエッセイの、とある記述に目が留まった。動物はその進化の過程で、大きく2つに、無セキツイ動物とセキツイ動物とに分かれた。そして「虫は無セキツイ動物の中で、人類はセキツイ動物の中で、それぞれ進化を極めた存在である」と。「進化を極めた」の代わりに「進化の頂点」という言葉も使っていて、この表現にはちょっと疑問もあったけれど、共に地球上の(海中を除く)ほとんどすべての環境を利用している存在でありながらもその方法は大きく異なり、また人類が生物学的には1種しかいないのに対して、昆虫には少なくとも150万種はいる。それが「人類と昆虫の生き様の違いを表してもいる」というのには、ふむふむと読んだ。

 「生物(生き物)」を大きく分けると、おおよそ動物と植物の2種類かと思うのだけど、おれはどちらかというと植物の方に惹かれているようである。それでも植物には「虫媒花」というものが多数あるので虫の存在がまったく意識になかったわけではないが、澤口たまみが言及したように「動物」という枠でもって虫を捉えるということは、そういえばしていなかったなと気づかされた。彼女のいう「進化を極めた」という表現(ないし意味するところは)、人と虫の進化の様相の違いは、虫の場合は環境の数だけ“種”が分かれ、人の場合は脳でもって環境の分だけ“技術”を増やしていき、その細分化の度合が他の動物たちに比べて極めて大きい。と言い換えられるのかもしれない。


 と、こんなふうに思いを巡らせてみたこともあったから、例の『ユリイカ』が目に留まったのだろうと今にして思う。内容は、エッセイや論文、インタビュー、対談、あるいは短いマンガまで、いろいろな形式で虫の話が展開されている。

 おれはこれで初めて養老孟司を読んだのだけど、言いたいそうなことはさておき、あまり肌に合わない人だと思った。池田清彦の「虫はマイナーな普遍」というのになるほろと思い、奥村大三郎とアーサー・ビナードの対談はテンポがよくて話もけっこうおもしろく、奥村氏の薀蓄はやや鼻にかかるきらいもあったが、彼の著書『虫の宇宙誌』は読んでみたい。大庭賢哉の『雨の訪問者』というマンガを読んだときは、部屋に入ってきたムカデ(「ムカデ」とだけ言っていた)に容赦なく殺虫スプレーをかけてワリバシで摘んでいた主人公が、虫に対する見方が少し変わったときに今度はコガネムシみたいなのが入ってきたのを見て「ハナムグリだ」と言う場面で思わず「なぜそんな名前を言い当てられるんだ」とつっこんでしまい、手塚治虫が少年時に描いた「昆蟲ノート」の詳細さには舌を巻いた。虫料理の話もあった。

 まだ読みやすそうなところを拾い読みした程度ではあるのだけど、とはいえ読んでいると、あらためて“虫”という存在が意識にのぼってきて、それに伴いけっこう思い出すことが多い。

 たとえば、ちょうど1年ほど前、おれは米粒大のクモと一緒に暮らしていた。気がついたら部屋の天井の片隅に巣を張っていたのである。はじめは(ほとんど反射的に)外へ放り出そうと思ったのだが、巣をつくるクモの労力を一瞬想像してしまい、無碍に取り払うことに対して抵抗が生まれたのと、この季節というのは、どこから湧いてきたのか解せない小さい羽虫が部屋を浮遊するようにもなるので、というかすでにそれが目につくようになっていたこともあり、もしかしたらこのクモの巣は使えるかもしれないと思い直したのだった。つまり、せっかくだから羽虫を捕まえてもらおうと思ったのだった。

 これがまた、おもしろいように捕えてくれた。日毎に巣に囚われた羽虫の数が増してゆく。クモに食されてパサパサに身体が散ってしまった羽虫もいれば、ずっと原型を留めたままの羽虫もいる。1ヵ月後くらいには、クモの巣というより、うっすら黄色みがかった小さな雲みたいになっていた。その頃にしばらく家を空ける用があり、2週間ほどして帰ってくると、雲はそのままだったがクモはいなくなってしまっていた。なんとも言えず寂しかった。

 あるいはぐっと遡って、小学1年か2年のときの話で、モンシロチョウの幼虫を班ごとに飼いながら観察するというのがあった。それで、自分の飼育当番のあいだに、幼虫がみんな死んでしまったのだった。どうしてそんなことが起こってしまったのかあまり憶えていないけれど、まあ世話を怠ったのだろう。放課後になって(というのは虫箱を自宅に持ち帰ることになっていた)それに気づいたおれは焦り、とりあえずその死骸を学校の花壇に埋めてやり、その日はもう暗くなっていたため、次の日、早起きをして学校の裏にある小さな畑に向かい、隠れるようにしてモンシロチョウの幼虫を数匹捕まえ、教室の虫箱に入れておいた。何食わぬ顔して。

 数日後、突如として悲劇が起きた。その日も自分が担当なので家に虫箱を持って帰っていたのだが、寝る前にひょっと覗いてみると、幼虫の様子がいつもと違う。なんかおかしい。なにか糸みたいなものが身体から出てきていたが、繭を作っているようには見えず、それに身体の中で何かがもぞもぞ蠢いているような…と訝しみながら見ていたら、幼虫の身体がプツッと破れた。小さい何者かが、しかも1匹ではなく数匹、もぞもぞと幼虫の身体の外側へ頭をもたげ、イソギンチャクめいた様相を呈し始めたのだった。こいつらモンシロチョウじゃない…!とわかったときには、そのおぞましさに打ちのめされていて、鳥肌と寒気がいつまで経ってもおさまらなかった(と書いている今も思い出しただけで怖気が…)。

 後にそれらは、親が蝶の幼虫に卵を植えつけ、孵った幼虫は宿主の身体を侵食しながら育ち、成虫になるころに宿主を喰い破って外界へ出てくるある種のハチだろうと教えられたが、こんなことがありうるのかと、あれは本当に衝撃だった。しかもあのハチのおかげで一度幼虫を死なせてしまったことも明るみに出てしまったのだった(なぜなら卵から虫箱の中で飼っていれば卵を植えつけられるということはないから)。


 『ユリイカ』には茂木健一郎と池上高志の対談も載っていた。養老氏と同じく茂木氏の記事もはじめて読んだのだが、そういえばクオリアって何?と思いつつ読んでいると、2人が子供の頃にやっていた昆虫採集について話しているくだりで、茂木氏が「甲虫屋と蝶屋って(性格とか)全然違うよね」と言っていた。ちなみに茂木氏は蝶屋で、池上氏は甲虫屋だったらしい。たとえば、蝶の場合だとだいたいスターが決まっていて普通の蝶とそうでないのとで見分けがつく。だからいいのがいると瞬間的な判断力が働いて捕ったりするけれど、一方で甲虫を捕るときはビーティング(まとめて?叩き落したりすること)とかして、とりあえず捕まえておいて後で分類する。みたいなところがあると。

 自分はどうだったかなと振り返ってみたのだが、昆虫“採集”っていうのはほとんどやらなかったような気がする。虫“取り”はときどきやっていた記憶がうっすらとあるし、多摩動物公園では昆虫館が一番おもしろかった。あとは図鑑とか『ファーブル昆虫記』を見たり読んだりもしていたけれど、程度の差はあれ、これは少しでも虫に興味があった人は辿った経路だろうし、おれは小3くらいには虫っ子を卒業してしまっていた。それにしたって、残念というか、まったくと言ってよいほどその内容を憶えていないのには、我ながら呆れる。

 しかし、蝶屋か甲虫屋かといった話で思い当たることが一つあった。蝶か甲虫かというより、おれは水生昆虫が好きだった。水生昆虫とは「水中、ないし水面で生活する昆虫」を指すようで、つまり、アメンボやトンボ、ホタル、ゲンゴロウタガメミズカマキリなんかのこと。おれにとっては「水中」というのがまた、なんとも言えない魅力を擁していた気がする(と書いてみて、ID・ニックネームにカメを使っていることに思い当たった。虫じゃないけど水生だ)。ゲンゴロウとかミズカマキリとかをどうしても間近に見てみたくて(できれば触ってみたかった)、でもなかなか叶わずに悶々としているところに友達が飼っていると聞き、その子の家へ足を運び、それを見せてもらったときはすごく嬉しかったし、ものすごく羨ましかった。なんてことを思い出した。


 『ビッグイシュー』のくだりで触れた澤口たまみは、「虫を愛する女性こそが、真のイイ女である!」という持論をもっていると冗談ぽく言う。冗談ぽくはあるが真面目に。「ともすると嫌われがちな虫という存在に、優しい眼差しを注げる」人だからと…『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」はきっとイイ女だったに違いない(ちなみに、あの話は虫をいわば“レンズ”にして当時の男女差別をからかっている物語でもあるらしい。その場合「女だてらに(女のくせに)」という言葉がキーワードとなる)。

 「ともすると嫌われがちな虫」といえば、(もちろんこれだけが原因というわけではないだろうが)子供の「自然離れ」が言われて久しい。この「自然離れ」の原因は、住宅建造などによる環境破壊で身近に原っぱや空き地や川辺なんかがなくなったからだという、いわゆる「環境破壊起因説」というのが一般に信じられているけれど、実はもっと別の影響のほうが強く働いていたのではないか、と斎藤美奈子の『それってどうなの主義』という本に書いてあって、その説明に驚いたことがある。

 すなわち、子供たちを本当に「自然」から遠ざけたのは、環境保護運動と共に叫ばれるようになった「生命を大切にしよう!」といったスローガンであると。「生命を大切にする」というのは「むやみに生き物を殺すな」ということにもなるが、これによって子供たちは、虫を捕まえても「かわいそうだから逃がしてあげなさい」とか、標本作ろうとか採集しようにも「殺しちゃかわいそうでしょ」と大人から言われ、また飼育するのもかわいそうだから動物園かなんかで「観察だけ」という流れができてしまった。子供にとっては「触れない」のであればなんの楽しみもない。こうして「自然離れ」が進んだ面も無視できるものではないと。そういうことが書かれていた。

 実際『ユリイカ』を読んでいると、たいていは採集の話から始まる。そして正直なことを言うと、読中おれは、「虫が生き物だってわかっているのかな」と幾度か疑うこともあった。嬉しそうに話しているけど少し「モノ」として見すぎではないだろうかと。さておき、実は、おれは虫が殺せない。虫が気持ち悪いとか怖いとかではなく「何かの命を断つ」ということに非常なためらいがある。つまり、ゴキブリが出てもなんとかして外へ逃がしてやろうとしたり(しかし奴らはすばしこいので、たとえ軽症でも脚の1本か2本はちぎってしまうことになり、それがまた後味が悪い)、蚊をはたけなかったり、足元に蟻が歩いているのをふと意識したりすると、にわかに足が動かなくなったりする。

 というのは(スローガンの影響だったとしても)やや異常な症状だと思う。それに偽善ぽくもある。お肉食べているし、この場合「生命うんぬん」というより、インドでは病気に対する警戒心から気が咎めつつも蚊をはたいていたことからも、「死がこわい」という意識の方が強く影響している気もする(だからというわけではないが、生命がどういうかたちにあるのか掴みにくい生命という意味でも、植物に惹かれるのかもしれない)。しかし、環境保護運動が「自然離れ」を誘発したというのは、なかなか真実味があって、また苦々しくもある。

 例のごとくペシミスティックな話になってしまったけれど、とはいえ、子供たちのあいだで一時期『甲虫王者ムシキング』が流行っていたことを思い合わせると、虫の魅力というのは今も通じるのだろうと思う。ちなみに、今の小学生のあいだではカブトムシよりクワガタムシの方が断然人気らしい。


 最後に。これはとくに夜なんかに、ぽけーと地べたに座って全身を澄ましていると、さわさわと、ピアニッシモでいて賑やかな、植物や虫の呼吸・息遣いを感じられる(…ような気がする)。そんなとき、一抹のさみしさの混じったささやかな幸福感を、ひっそりと感じることがある……などと、恥ずかしいこと言った。

 だんだんセミの季節もおわりつつ、スズムシ・コオロギ鳴く季節。

 大人になるといつも立っているから、たまにはしゃがんでみるのもよいかもしれない。