チャップリンと“あの”チャップリン 『チャップリン自伝』

 この1ヶ月ほど怒涛のバイトの日々で、ここ3日間は夏コミの現場で汗だくになった(コミケってあんなに盛大に催されるものだったのか…!)。それに先立つ一月ほど前、7月前半、おれはにわかにチャップリンづいていた。少し遠くのレンタルショップチャップリン作品がいくつか置かれているのを発見したからで(最寄のお店には1作も置いてない…)、具体的には、彼の後期でユナイテッド・アーティスツ社時代の諸作品―『黄金狂時代』『街の灯』『モダン・タイムス』『独裁者』『殺人狂時代』『ライムライト』を観ていった(『黄金狂時代』と『ライムライト』は必見、『独裁者』はちょっと微妙、個人的には『殺人狂時代』が好きだった)。

 そうしているうちに映画とはべつに、チャップリンその人に対する興味も湧いてきたので、ついでに『自伝』を読んでみることにした。図書館で受け取ってみてたじろいだことには、その分厚さ(2段組で約600ページ!)。しかし読み始めてると、なぜだかページを繰る手が止まらない。

 幼少期の話から晩年スイスに移住するまでの流れを辿りつつも、語られるエピソードの数々は微妙に時間を前後していて、文庫だと上下巻に分けられているようだが、おおまかに見て、前半は(絵に描いたような)極貧の幼少期から一躍トップスターになるまでの回想(大失敗2・3あり)、後半は作品製作の裏話や人生観・映画観(喜劇観)などが詳細に述べられるようになり、メタ的になる。あと、箴言と呼べるような言葉がいたるところに見当たる。

 この分厚さはチャップリンの観察力と、驚異的な記憶力の反映でもあるよう(「訳者あとがき」によると記憶違いのところもやはりあるようだけど)。当時の映画界とか政治状況とかの説明はほとんどなく、自身がその場にいたことに関する話だけと言っていいし、語られる情景や出来事、人々の様子の描写がすごく細かい。だから前半の、とくに幼少期の回想部分は小説を読んでいるような気分もあった。個人的には、どちらかと言えばこの本にはメタなところに期待を持っていたから、後半の方が楽しめた。

 この本は一気読みするよりもちょいちょい読んだほうがよいかもと思い、「ちょっとチャップおじいの家行ってくる」という、寺田寅彦の本を読むときと似たような(縁側で近所の年寄りの話を聴くような)感じの軽い心持ちで読んだ。で、いろいろ話してみたいことはあるけれどそれ全部書くのは分量的にちょっと無理なので、特に関心のあった2、3のことに絞って書くことにしよう―「ユーモア」と「チャップリンとトーキー映画」。


 実はおれ、チャップリン映画を初めて観てからまだ1年経ってない。2010年も押し詰まった昨年の12月下旬、TOHOシネマズの「午前10時の映画祭」で『ライムライト』を観たのが初チャップリンだった。「チャップリといえばあのスタイル」というイメージはさることながら、「彼の作品は全部あの姿」だと思い込んでいたため冒頭10分くらいのあいだ、「チャップリンはいつになったら出てくるんだろう…?」とやや訝しみながら観ていたところ、しょっぱなから出ていた初老の男・カルヴェロがまさにチャップリンその人だ!ということに、カルヴェロが昔の夢を見るシーンでやっと気がついた。しかし上映が進むにつれてさらに驚いたのは、意想外のペーソスと、その濃度だった。これも単純に「チャップリン=喜劇」だと思っていたので、虚を突かれた。が、余韻がたまらなかった。

 でもそもそも、ユーモアというのはテレビでよく見かける「お笑い」とは、ちょっと違う。個人的にユーモアは、喩えてみると、小龍包(シャオロンパオ)のような肉汁を湛えた肉まんだと思う(あまりうまい喩えではない)。「笑い」という生地で包まれているので柔らかくて弾力もあるのだが、同時に「怒り」や「皮肉」、あるいは「自嘲」といった批評的要素という肉汁が含まれていて、油断しているとその熱さで舌をヤケドすることもある。また食べるために何か動物を殺したという(殺された側にすれば悲劇的)事実が具の肉にはあるし、それなのに肉まんは冷めてしまうとおいしくなくなるという「哀しさ」もある。しかし総じて見ると、肉まん(ユーモア)は旨い(おもしろい)のだ。

 チャップリンの言を借りると、「一見正常に見える行為の中に見出されるきわめて微妙なずれである。別の言葉でいえば、われわれはユーモアを通して、一見合理的なものの中に非合理を見、重要に見えるものの中に取るに足らぬものを見てとる」ということである。それは感情の機微を捉えているということでもあって、だからなのか、彼の作品を観ていておれが思ったことの1つに、「チャップリン映画の心は、落語の心に通じるかも」というのがあった。

 あえて「笑い」という形式で表現するのはどうしてかと問われるとおれには答えられないけれど、思うに、事実それが滑稽だからであると同時に、よく辛い・苦い経験について「いつか笑えるようになればいいね」と慰めるように言ったりすることがあるように、人は笑えなければ受け容れ難いことを(忘れられないのではなく)受け容れられない、認められないのかもしれない。逆に言うと、笑えればそれができるということか…

 「喜劇つくりについて一言すると、逆説かもしれぬが、しばしば悲劇がかえって笑いの精神を刺戟してくれるのである。思うに、その理由というのは、笑いとは、すなわち反骨精神であるということである」とチャップリンは言う。また「ユーモアはまた人間の生存意識をたかめ、健全な精神をささえる。ユーモアがあればこそ、人生の有為転変も、比較的軽く乗りきれるのだ。それはわれわれに均衡感覚を与え」るとも。(チャップリン映画と落語のもう1つの共通点は、落ちも笑えるところもわかっているのに、繰り返し観ても聴いても、「やっぱり笑える」ということ。)

 喜劇あるところに悲劇あり、悲劇あるところに喜劇あり。チャップリン自身明言しているように、彼の映画の基調は「悲劇的なものと喜劇的なものとの結合」にある。とりわけ『ライムライト』にはペーソスが色濃い。ところで、彼の幼少時の話で、この喜劇と悲劇の同時性をはじめて実感を伴うかたちで意識した体験談に「羊のエピソード」がある(興味深いのは、前述したとおり驚異的な記憶力を持つ彼なのに、このエピソードのこと以外は当時の暮らしのことを他にはまったく憶えていないと言ってること)。

 ―ある日、ある通りで、屠殺場に連れて行かれる羊たちのうち1匹が逃げ出し駆け回り、捕まえようとする人と羊の追いかけっこという出来事が起きた。通りにいた人々も、幼いチャップリンも、その滑稽な光景に大笑いし、大喜びした。やがて羊が捕まえられた。その瞬間、急にクローズ・アップされてきたのは「あの羊は殺される」という現実。幼いチャップリンは家へ駆けて帰ると、泣きながら母に訴えた―「あの羊、みんな殺されるよ!殺されるよ!」


 さて、チャップリンといえば“あのスタイル”。すなわち「だぶだぶのズボンにきつすぎるほどの上着、小さな山高帽に大きすぎるドタ靴、ステッキ、小さな口ひげ」というイデタチ(ちなみに口ひげは年齢を隠すため)。このスタイルないし人物は、考え抜かれた末の産物ではなくて、即興的に生まれたものだったらしい。

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 チャップリン曰く、「性格のことまではまだ考えていなかった。だが、衣装をつけ、メーキャップをやってみると、とたんにわたしは人物になりきっていた。それがどんな人間だか、しだいにわかりかけてきたばかりか、いよいよステージに立っときには、すでにはっきりひとりの人間が生まれていた」とのこと。この男は「浮浪者かと思えば紳士でもある。詩人、夢想家、そして淋しい孤独な男、それでいて、いつもロマンスと冒険ばかりもとめている」というなかなかに複雑な人間で、「わたし自身にとってさえ思いもかけない人物だった」と語る。また、このスタイルの衣装をつけメーキャップで顔をつくると「わたし自身まったく想像もしなかったような奇想が、つぎつぎとまるで泉のように湧いてくるのだった」とも。そしてチャップリンは、この「事実は浮浪者、心は紳士でロマンチスト」というキャラクターで一世を風靡してゆく(以下「チャップリンスタイルないし人物」のことを便宜上“シャルロ”と呼ぶ)。

 しかしそこまでのシャルロを、『殺人狂時代』『ライムライト』などに至ったときには捨てている。それはなぜだったのか…?「キートン時代の作品では、この浮浪者はまだきわめて自由で、ほとんどプロットに縛られていなかった(中略)評判の作品が次々と出るにつれて、彼の性格はしだいに複雑になって行った。人間的感情がにじみだしはじめたのである」とあって、これはドタバタ喜劇の枠を考えると問題だったが、これについては「一種のピエロ」と考えることによって解決されたとのこと。

 決定的だったのは、トーキー映画の出現。実はこのシャルロ、チャップリン曰く「一言でも口をきいた瞬間から、別の人間になってしまう」(彼を産んだそもそもの母胎というのがサイレントだった)のであり、「わたしがトーキーに乗りだすというのは、あの浮浪者とも永久に縁を切ること」だったのだ。トーキーは『黄金狂時代』が出たあとくらいから急激に隆盛してきたようで、チャップリンの作品がぐっと減る時期と機を一にしている。ちなみに『街の灯』も『モダン・タイムス』もサイレント映画だが、すでにトーキーが一般的になっていたときの作品だった。

 『自伝』の後半部分を読んでゆくと、新たな作品の着想を得たり萌芽が出てくる度に、「トーキーとの葛藤(あるいは憂鬱)」がチャップリンの中に現れてくる。問題はシャルロに限らない。たとえば、トーキーが一般化したことで「俳優たちがほとんどパントマイムの演技を忘れてしまった」「彼らのタイミングがすべて動作から台詞に移ってしまっていた」と言っている。……「わたしとしては別に一人でサイレント映画の孤塁をまもろうというほどの気はなかった」「サイレントをつくるというのは、なんといっても不利である。そのうえ、時代遅れになることも、やはり実は怖かった。すぐれたサイレント映画のほうがトーキーより芸術であることは疑いないが、ただ音が人物により現実感を与えるという事実だけは認めざるをえない」。

 チャップリンの映画を観ていて思ったことの1つに、「チャップリンってやっぱり演劇畑なんだな」というのもあった。たとえば『殺人狂時代』の冒頭、ある家族が居間で罵りあるシーンがわかりやすいけれど、カメラが動かない。舞台(演劇)そのまま。彼の映画ではカメラは基本的に固定されているのだ(むろん計算された位置に)。それは自身曰く、「わたしの場合、カメラ操作はもっぱら俳優の動きを楽にするような演出に基づいて決定される」という信条からで、「カメラが床に据えられたり、俳優の鼻先をうろうろしたりすると、演技をしているのは、それはカメラであって、俳優ではない。カメラがのさばり出してはいけないのである」という信条があったからだった。「俳優の動き」というのは、パントマイムという演技技術に直結する。

 問題はシャルロに限らないというよりも、問題はすべてシャルロに関わってくるものだった、と言えるのかもしれない。『独裁者』はトーキーだが、その独裁者と間違えられるという発想ないし意図は、「シャルロが自分とよく似た独裁者と間違われることで、彼は“別の人物として”口をきくことができるようになる」というもの。これはサイレントとトーキーのあいだに挟まれた当時のチャップリンをよく表しているように思うし、トーキーが勢力を増してからも『街の灯』『モダン・タイムス』とサイレントを2作出しておきながらも、なお『独裁者』の時点でもこうだったというのは、(公開年を確認するかぎり)少なくとも15年間は葛藤し続けていたということになる。

 『独裁者』の7年後にシャルロからついに脱却を果たしたかと思われる『殺人狂時代』が来るけれど、これよく考えてみると、青ひげは“二重”生活者だ(家庭を愛する良き夫/婦人殺人狂)。もちろん技法としてそれが適していた(必然だった)ということはあれ、『独裁者』で編み出した「1人2役という形式」、つまり「シャルロの残像」を引き継いでいるようにも見える。

 『殺人狂時代』から4年後、『ライムライト』が公開された(一応付言しておくと、これがチャップリン最後の作品というわけではない)。ふつうに観てもなんとなく思うことに、カルヴェロのモデル自体は自伝中で明かされているとはいえ、やはり自身が投影されている(されてしまっている)部分もけっこうあるだろうと思う。『ライムライト』も、「かつて輝いていた名喜劇俳優/その後精彩を失った初老俳優」という、『独裁者』と『殺人狂時代』とはまた違う意味で(というのは、同時的ではなくいわば時差的)二重性をもつ。ただ、どうやらこの作品で、チャップリンはシャルロを(脱却ではなく)消化できたのかもしれない…

 この深読みをもうちょい推し進めてみると、『ライムライト』が1952年公開で『自伝』が1963年(?)に出版されたことも加味して、(チャップリンが自伝を書こうと思った理由ないし動機、また執筆期間もよくわからないが)もしかしたらこの『自伝』自体、シャルロを消化できてはじめて書き出せた(書き通せた)ものでもあったのかも…


 『自伝』を読んで見えてくるチャップリンは、どんな人にも、何に関しても良いところや自分の好みを見つけるし、たとえ否定することはあっても、それは一方的でも絶対的なものでもなく、そこでピリオドを打つような否定でもない。

わたしは何物をも信じないが、また、何事にも絶対に不信ということはない。

 …ということで、チャップリンの熱弁した「信」についても触れようと思っていたけれど、これはおれ自身ずっと気になっていることでもあってやや長くなりそうだし、すでにもう長いのでやめておく。


 最後に、しかも余談だけど、図書館で借りたこの本には以前読んだ人がつけたと思しきアンダーラインや印が少なからずあった。本当はしちゃいけないことだとかせめて消しおくべきだといったことは措いておいて、おもしろかったのは、鉛筆引かれていたのがことごとくチャップリンの「女性関係」や「女性描写」に関するところだったこと…その人の目的や意図はともかく、自分とは違う視点で読んでいる人が「伴読」しているようで、なんか愉快だった。



チャップリン自伝 上 ―若き日々 (新潮文庫)

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