韓国映画の秀作2本

 前のエントリーで韓流が云々述べたけれど、あの後ネットバタ足していてわかったことには、韓国映画というのはもうここ10年ほどの間ずっと、大変な賑わいであるらしいということだった。

 ところで、実は最近、映画に半ば飽きていた。原因の1つを端的に言えば、英語(という音)を聞くことに倦んでしまい、ひいては「映画はどこまで遡っても、基本的にはハリウッドが大半を占めている」というところ。

 個人的に映画に求めているものは、ストーリーや、あるいは映像表現よりはむしろ、自分には耳慣れない(聞き取れない)言語の聞き心地だったり、その言語でのやりとりや、地域、時代によって異なる街並みや人々の振る舞い・仕草によって生じている雰囲気が先だったりする。つまり、読書では直接に五官で受け取ることのできない(想像力で補うしかない)ところの感覚であり、これによってその作品の世界にとんと浸れる。

 その点、ハリウッド映画というのは、日常にあるのが普通すぎて/身近すぎて、こういう欲求を満たしてくれないことが個人的には多い。といって、ハリウッド(ないし英語圏)と邦画以外の、他の国の映画となると、レンタルできるような作品が激減して、観ることの叶わないものが多すぎる。都心の方なら映画館の上映作品もレンタルもそれなりにレパートリーが豊かなようだけど、おれが住んでいるのは都心じゃあない。都心くんだりにわざわざ行きたくない。

 ついでに飽きた原因をもう1つ挙げると、映像表現が主だから、というのもあるかもしれない。ふだん日常生活において“目”を使う比重が高すぎて、「なんかもういいや、目で。っていうのは」みたいな気分になることがときどきある…。

 これらはごく個人的な事情だけど、とりあえずそんなこんなで、映画に飽きていたようなのだけど、そうは言っても…映画観たいのだ。で、しばらくの間は韓国映画を主にして観てゆくことにした。それというのは、これから挙げる2作がおもしろかったからでもある―ネットを徘徊しているときに見つけた『ヌルボ・イルボ 韓国文化の海へ』というブログに「150本から選んだ… ★韓国映画ベスト20★」というエントリーがあって、そこでヌルボさんが「未見のひとにはぜひ観てほしい秀作」として言及していたのが、この2作。ということで、順位は無視してここから手を出してみた。


ほえる犬は噛まない

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 ポン・ジュノの映画は『殺人の追憶』『グエムル』の2作を観たことはあって、ただ、作品の良し悪しとは関係なく、この監督の映画はなんとなく苦手(?)な感じだった。だから観るつもりなかったのだけど、DVDケースを見てみたらおもしろそうだったので借りてみたところ、これが吉!ポン・ジュノの長編デビュー作であり、ペ・ドゥナの映画出世作

 手術台に寝かされている人がいる。その人は頭を切り開かれていて、その脳を直接、何者かが電極で突ついている。ここを押すと泣く。あそこを刺すと笑う。このとき、突かれている人は自分の感情や意思に関係なく泣いたり笑ったりしているわけだけど、それを傍から見ると実に痛々しい…この映画を観ていると、その様子を見ている人と、脳を突かれている人、この2者が同居したような気持ちになる。つまりそこで起きていることは決して笑いごとではないことも多いのに、つい笑っちゃう。

 内容は、とある団地の住民のあいだで起こる喜劇である。この団地はペット禁止なのだが、黙って(しかし平然と)犬を飼っている住民は多く、この「犬」たちをきっかけにして、人々の日頃抑えられていた鬱憤や不満が顔を出し、小さい事件がちょこちょこ起こってゆく。赤と黄色のコントラスト。

オールド・ボーイ

オールド・ボーイ プレミアム・エディション [DVD]

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 パク・チュンヌク「復讐三部作」の2作目。静かな音楽からパッとアップテンポに切り替わるオープニングが、カッコイイ!ビルの廊下の超ロングショット、静止画的な表現、全体的な色味など、ストーリーは後半にやや冗長の気味があったけれど、アクのある映像がおもしろい。日本のマンガが原作。

 ある雨の日の夜、オ・デスは「紫の傘で顔を隠した男」に突然攫われ、理由も明かされぬままに監禁生活を強いられる。15年後、目が醒めてみると、マンションの屋上に解放されていた…誰が、なぜ、監禁などしたのか。オ・デスは復讐の念に煮えたぎる。しかし本当に問うべきだったのは、なぜ「解放されたのか」だった…復讐が復讐に喰われる。

 ポン・ジュノもそうだけど、監督のパク・チュンヌクは、いわゆる「386世代」の人らしい―「(広義的には)1990年代に30代(3)で、1980年代(8)に大学生で学生運動に参加し、1960年代(6)の生まれ」に当たる世代を、韓国ではこう呼ぶようである(現在は「486世代」と呼ぶのが普通とか)。韓国映画界におけるこのへんの人たちは、後々には、邦画で言うと黒澤明とか小津安二郎とか溝口健二とか、そんな感じの存在になるのかもしれない。


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 韓国映画のキーワード(?)によく「暴力」が話題にのぼるようだけど、たしかに上の2作もそうだった。今まで韓国映画は言っても10作くらいしか観てたことないが、印象としては、暴力を隠さない(もしくは、暴力を―で飾らない)ところがあるように思う。有体に言えば、この「暴力」にはヒロイックさもなければ、劇的でもなく、美学なんてものもない。もちろん、肉体的な意味に限らない。

 そういえば『グエムル』、観たのはもう4・5年ほど前で、実のところほとんど憶えていない。というのは、たしか当時一緒に借りてきたものに『善き人のためのソナタ』があって、以前「今週のお題」が「心に残る映画」だったときにこれを取りあげたものだけど、この映画で感動に奮えた挙句、『グエムル』の方は霞んでしまったのかも…

 とまれ、ヌルボさんのリストを参考にこれからちょっとずつ観てゆくつもり(このリストは比較的古い作品もカバーされているところのがよいと思った)。