子供たちが産み落とされるこの街、人々 『セブン』

 たとえば「小説」と呼ばれるジャンルを独りである程度掘り下げていると、その世界がどんどん広がり深まっていくと同時に、基本的に自分の興味・関心を軸としているわけだから、進む方角に無駄がなくなりブラッシュアップされていったり、あるいは頭打ちになったりして、なんとなく、少しマンネリ気味になるというか貧血気味になるというか、自分の知らない世界に通じる風穴を開けたくなる。

 特にそういう時は、おれは友人にオススメを聞いたり気になる作家がよいと言っていた作品に当たったりしてみるのだが、その際、新しいものに手を出す時に感じる懼(おそ)れやある種の億劫さを払い除けてくれる、あるいは手を出させる牽引力になるという意味で、その作品の魅力よりも、オススメをした人物に対しておれがどれだけ魅力を感じているか・興味を抱いているかという意識のほうが重要となる。自分が“関心をもっている”相手が「良いよ」と言っているものは大抵おもしろい。

 以前書いた「入り口がどうたらという話と同じだが、小説とか映画とか、そういうおおまかなジャンルに対しても入り込むきっかけになった作品が人それぞれにあったりする。「私はこれを読んで小説のおもしろさに目覚めた」みたいな。話していておもしろいなと、つまりおれにとっては興味のある映画好きの友人が、映画をよく観るきっかけになった作品としてデイヴィット・フィンチャーの『セブン』を挙げていた。

 粗筋を聞いたときはそれほど関心をもてたわけではないが、「きっかけになった」とまで彼が言っているわけだしと思い、観てみた。粗筋聞いてそれほど興味が湧かなかったのもさもありなん。この作品の場合、ネタばれとされるくらいに踏み込まないと語れないのではないか。


 この作品のミステリは7つの大罪が軸になっている。7つの大罪とはキリスト教の用語で、「大食(暴食)」「強欲」「怠惰(憂鬱)」「憤怒」「高慢(傲慢・虚飾)」「肉欲(色欲)」「妬み(嫉妬)」のことを指し、罪そのものというよりは、罪に導く可能性がある欲望や感情のことである。

 とある都会で殺人事件が起き、定年退職間近の刑事サマセット(モーガン・フリーマン)とその街に赴任したばかりの新米刑事ミルズ(ブラッド・ピット)の2人がこの事件を担当することになる。1つ目の事件でサマセットは「これは始まりだ」と諸々の理由から確信するが、2つ目の事件で、この一連の事件が7つの大罪に則って行われていると見抜く。入念、綿密かつ我慢強さを必要とする手の込んだ殺し方から、犯人は精神異常者やイカれた人間の類ではなく、何か意図を持って犯行に及んでいるものと推測できるのだが、では、その犯人の意図は一体何なのか…雨が止んだとき、すべてが明るみになる。


※以下ネタばれ有。レビューでなく解説みたいになっています。


 まず見逃せないのは、導入部のサマセットと巡査のやりとりである。夫婦喧嘩のすえ夫が銃殺された事件の現場に赴いたサマセットは、「子供は現場を見たのか?」と巡査に訊く。それに対して巡査は「あんたが退職してくれて嬉しいよ。子供の心配は仕事じゃない」と吐き捨てる。何気ないシーンだが、このやりとりに『セブン』の問いかけが示されていると思う。

 その問いかけは、作品の印象とは違うと思うかもしれないが―おれの解釈が間違っていなければ―「あなたは、自分が住んでいる街、ないし社会を見て、自分の子供が産まれ、育ち、生きていってほしいと、子供が幸せになれると、心から思えますか?」だろう。

 犯人であるジョン・ドゥ(ケヴィン・スペイシー)の後々明かされる意図や問題意識自体はそこにあるわけではないし、「子供」に関することを主立てたり子供が出てくるわけでもない。しかし、サマセットが「大食」の事件現場に再訪したとき外から聞こえてきた子供たちが遊んでいる声を彼が一瞬気にしたり、彼が図書館で調べ物をしているときに本の一節として子供のことがちらっと出てきたりする。

 サマセットはこの問いかけに対して、「そうは思えない」という立場に立つ。彼のいる街は、「犬の散歩中に男が襲われ、時計と財布が盗まれ、ナイフで両目を刺される」という事件が日常茶飯事の都会であり、それも最近そうなったのではなく、彼が刑事を勤めた34年間この方ずっとの話。事実、以前彼は夫婦同然の関係にあった女性が身ごもったとき「こんなひどい世の中に子供を産むのか」と考えて恐くなり、彼女を説得して堕胎させた過去をもっている。そして「あの決断は間違ってはいなかった」と今でも思う反面、「だが一日でも、違う決断をしていたらと思わない日はない」とも吐露する。


 では、サマセットが「子供を産ませたくない」と思った街はどんな街か。先述したように、治安が悪いらしい(でも普通の)街である。この街がそうなっている原因はどこにあるのか…「人々の周囲に対する無関心」だと彼は考える。周囲に無関心で、自分のことにしか関心がなく、自分の欲望や感情にいたずらに従う人間があまりに多すぎると。反面、「無関心が一番の解決策」だということも認めている。

 新米ミルズは(どちらかと言えば)「自分のことにしか関心はない」という側にある。一方で、犯人のジョンがこの連続殺人事件を起こしたのは「神に選ばれた者」としての使命感ゆえでもあるが、その使命感の裏には、この「人々の無関心」に対する憤りがある。

 ジョンは自分がしていることを「神から与えられた仕事」だと言う。それに対してサマセットは「選ばれた者であるなら、なぜそんなに楽しんでいる?」とジョンに問う。選ばれた者がやろうとしていることは没我的であるはずなのに、楽しんでいるということは「至極私的なこと」ではないのか。それは矛盾じゃないか。殉教者とは思えない。と。それに対してジョンは、そこにいたミルズを引き合いに出して、こう答える。

仕事を楽しむのは当然だ。

 言われてみれば、たしかにそうである。問題なのはその「仕事」が「人殺し」であることだが、「仕事を楽しむ」ということ自体は決して悪いことではない。むしろ人々が普通に求めることである。

 ジョンのこのセリフは、その前に出てくる犯行現場になった風俗のオーナーが、「仕事は楽しいか?」とミルズに尋問で訊かれて、「楽しかねえ。それが人生だろ」というセリフと対比される。「仕事を楽しめることは素晴らしいこと」だとか「好きなことを仕事にできた人は幸せ」だとか、一般には肯定的に言われたりするが、実は、事はそう単純な話ではないかもしれない。

 サマセットは犯罪に対して憤りを感じ、またその原因である「人々の無関心」にうんざりしながらも、刑事という仕事が自分にとって天職なのだろうと苦々しく思ってもいて、「人殺し」に関しても、ジョンがそれを行う根底にある認識はサマセットとほぼ同じくしている。つまり、サマセットの“陰”の部分を具象化したような存在としてジョンが現れ、彼はジョンに対して反論する言葉をもっていない。サマセットはジョンの答えを聞いた後、一言も口にしなくなる。


 一方、ミルズ。彼はまだ若く、彼が希望してこの街にやって来たのは「野心」とも呼べる気概を実現させんがためである。事件が起きたら犯人を必ず逮捕してみせるという気概。この気概は「自分ならこの世界を変えられる」と心のどこかで思っている若さゆえに抱ける前向きさでもある。この連続事件に関して血気盛んで、それゆえに血気走ったり焦ったり、サマセットの姿勢に苛立ったり楯突いたりもするが、サマセットに対して少なからず敬意も抱いているようであり、だから『神曲』や『カンタベリー物語』も言われたとおり(でも隠れて)手にとってみたりもする。

 感情的に動いたりもするが、どこかに冷静さを持ってもいる。自分が以前殺してしまったヤク中の名前が思い出せなくてむしゃくしゃする、そういう良心もちゃんとある。

 ミルズはジョンに対して「お前は罪のない人間を殺した」と言うが、ジョンはその問いかけに対して「罪がない?冗談はよしてくれ」と気持ちを高ぶらせ、「この腐った世の中で、誰が本気で奴ら(ジョンに殺された人たち)を罪がない人々だと?」と声を震わせる。そして言う。

だが、問題は、もっと普通にある人々の罪だ。我々はそれを許している。それが日常で些細なことだから、朝から晩まで許している。

 ジョンが恐いのは、理性的にものを言っている(ように思える)ということだ。それまでは気持ちが高まって、彼が殺した人間たちがどんな奴らだったのか口早に話したり、サマセットとミルズが自分たちの手で彼を追い詰められなかったことに対して罵倒したりしていたのに、「でも俺達はお前の居場所を突き止めた」とミルズに言われると「たしかに」と冷静に戻れる。普通の人間だったら「でもさ!」と、自分の欠陥を感情的に認めようとしないことが多い。ここにジョンの恐さ・不気味さがあり、そして説得力が漂う。

 ミルズは、先述したように冷静な部分、他人の言うことに対して耳を傾けられる部分がある。彼はジョンの言うことに対して表向きは否定しつつも、内心では否定しきれないという様子になっていく。だからこそ、あのラストがより一層重く迫ってくる。


 ラストのああいうことが、もっと浅く軽い認識の下、「普通にある人々」が「普通にある人々」のあいだの至るところで起こしている。少なくともこの作品ではジョンのような人間が現れる社会があり、その中で子供を産んで…子供自身は幸せになれるだろうか?ミルズの妻・トレイシー(グウィネス・パルトロー)はそれで悩んだし、サマセットは堕胎を選んだ。また、「子供が生まれて幸せ」というのは、親の「自分に対する関心」に過ぎない。とも言える。


 この映画は2度観ても、というより2度観た方が楽しめる。とくに意味はないと思っていたセリフや描写に意味があるとわかるから。1度目より2度目の方が目を離せなくなる類の作品である。

 だから他にも気になることはあるのだ。サマセットのメトロノームは何を表しているのかな、とか、ラスト直前にサマセットとミルズが並んで胸毛処理をしているシーンでミルズが言いかけた「おれは…」につづく言葉はなんだろうか、とか、ジョンは働いたことがないという設定だったな、とか。友人が言っていたように「倫理」や「正義」もあるだろう。あと、もしサマセットにあのような教養がなかった場合、これコメディーになる。


 「この世は素晴らしい。戦う価値がある」とは、ヘミングウェイの言。「後の部分には賛成だ」とサマセットは言ったが、さて、どうだろうか。



セブン [DVD]

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