メタモンに学ぶ!

 メタモンとは、いわずと知れた『ポケットモンスター』(通称ポケモン)に出現する「へんしんポケモン」というモンスターである。

 その身体はスライム状で、ふつう紫色(あるいはピンク色や青色)である。技は「へんしん」のみとシンプルだが、これを使うことで対戦相手のモンスターの姿かたち、そして、ステータス(能力値)と「わざ」までもそっくりコピーすることができる。ただし、HPとレベルはこの限りではない。


欠点、あるいは限界点

 ほぼ完璧なコピーができるため、一見するとこの能力は使えそうである。だがいざ実戦に臨んでみると、「へんしん」するのに1パターンを費やすことで必ず後手になるため(ポケモンのバトルはターン制)、実は使いづらい(=使用難易度が高い)。

 しかし、メタモンが使いづらい理由はそれだけではないと思われた。HPとレベル以外はすべてコピーできるにもかかわらずあまり役に立たないのは「それが“コピー”だから」ではないだろうか。以下の2点が欠点だと思われる。

  • メタモンはコピーすることですばらしく強力なわざを得ることができる。その分強くなる・・・それも一面では事実なのだが、そのわざを得たところで、メタモンはそのわざの具体的な使い方(戦術)がわからない。たとえば、箸を持っていても箸の用途や特徴がわかっていなければ、結局はうまく使えない、あるいはせっかくの利点を活かせない。
  • メタモン自身は相手をコピーすることで自分の「タイプ(属性)」までをも変えているのだが、ポケモンは自身のタイプと同じタイプのわざを覚える傾向にあり(たとえば、みずタイプのポケモンはみずタイプのわざを多くおぼえる)、また、あるタイプのモンスター対して、そのタイプと同じタイプのわざをぶつけたところで効果は「いまいち」なのである(たとえば、水鉄砲で焚き火を撃つのは効果的だが、金魚に同じことをしても金魚はちょっと驚くくらいだろう。という理屈)。要するに、自分と同タイプの敵とたたかうというやや特殊なケースのたたかい方も知っておく必要があるのである(普通はそんな特殊なケースでわざわざ戦おうとはしないものだ)。そういう時こそ、戦術・戦略を練らなければならないものだが、そもそも、わざの使い方もろくに知らないため練るに練れない。


 以上2点の理由により、メタモンは扱いづらいのではないかと考えられる。


 ためしに、メタモンを「人間」に置き換え、コピーする対象であるわざやステータスを「知識」や「筋力」に置き換えて考えてみる。

 優秀な弁護士に「へんしん」してみたとすれば、知識がものすごく増えるかもしれず、その場合、六法全書の記載をいくつか覚えていたり、ある項目に関係する条文が全書のどのあたりにあるかがわかったりもするだろう。あるいは、マラソントップランナーに「へんしん」したらどうだろうか。筋力や体力が急激にアップするかもしれず、少々のことではへたばらないだろう。

 しかし、先の2点を考え合わせると、どちらの場合も、得た知識や筋力・能力は実戦ではあまり役に立たないかもしれない。

 弁護士として、たとえば裁判に臨んだ場合、たしかに豊富な知識は持ち合わせているのだが、裁判の現場で行われるのは、その知識をいかに使ってこちらの主張を通すか・認めさせるかということでもある。論理的な思考や観察眼なども実際には必要になってくるということである。この点で転ぶ。条文は知っていてもそれを使った戦術・戦略を練ることはできないし、質疑応答などのときに検事に予期していなかった出方をされた場合、うまく対処できず、おそらく無能ぶりが露見すると思われる。

 マラソンランナーならば、筋力や体力は十分だとしても、いざ実戦になれば気温や湿度、風向き、その日の自分のコンディションなどを考慮し、またレース中は他のランナーとの駆け引きやペース配分なども計算しながら走ることになる。これができずに失速するなどし、結果を出せない可能性は高いと思われる。


 つまり、よく言われるように「知識だけでは意味がない」というのに近い。

 もちろん知識も必要不可欠ではあるのだが、それを活かすためには、“知恵”や”直観”、“思考力”などが必要となるのである。

 コピーするだけでは役に立たない。なかなか教訓的なモンスターである。


利点、あるいは潜在性

 上ではメタモン(コピーすること)の限界(欠点)を考えてみたが、今度はその利点を考えてみる。


 まず、メタモンが役に立たないのは、相手の能力をそっくりコピーしたところで、“知恵”や“直観”が足りないからだと言った。

 これを言い換えると、「へんしん」してもメタモン自身(プレイヤー自身)の自己や個性といった自己同一性(アイデンティティー)はそのままだからだ、という言い方もできるだろう。


 創造とは、模倣(コピーすること)からはじまる。

 小学生のときにひらがなや漢字を学ぶのに、誰でもまずはお手本をなぞった憶えがあるはずだ。絵を描くのが好きだった人は少なからず模写したことがあるだろうし、女子なら女優やモデルの誰かに憧れて同じ髪型や服装をしたことがあるかもしれないし、バンドはプロの楽曲をコピーして演奏したりもする。

 なぞっているうちに意識せずとも字が書けるようになり、模写しているうちにどんなふうに描けばリアルになるのかわかったり、パクっているうちにファッションセンスが磨かれたり、コピーした曲を演奏しているうちに何かを掴んだりすることもある。

 そう、コピーしているうちに、自分の個性なり特徴なりを発見できたりもする。

 実際、「アルルの跳ね橋」や「ひまわり」という絵で有名な画家のゴッホも、「落穂拾い」のような農民画で有名なミレーの絵を何度も何度も模写して(とくに「種まく人」を、らしい)、さらに葛飾北斎をはじめとした浮世絵なども模写していくことで、そこから画法を学び取り、かつ自分のスタイルを徐々に確立していった・・・と、こないだNHKの番組のなにかの特集で言っていた。

 要するに、「コピーする“だけ”」というのがいけないのであり、コピーする(真似る、パクる)ことで得られるものも少なくないのである。コピーするという“経験”は知恵や創造を生みだす肥やしとなる。


 ちなみに、メタモンではなく人間の場合、なにかをコピーするときは、“憑依する(させる)”という感じで行うとより効果的な場合もあると思われる。

 たとえば、クラシック奏者などは楽譜に対してある程度メタモン的能力を必要とするかもしれないし、役者には身も心もその役になりきろうと努める「役作り」という作業がある。人が小説を読んだり映画を観たりするのは「自分が体験できない世界を疑似体験したい」という欲求を抱いているのも1つの理由として挙げられると思うが、その場合、主人公なりの登場人物の誰かしらに感情移入できるかできないかがポイントになるとも言える。


 同じものでも利点と欠点を併せもっているという二面性を表しているメタモンは、なかなか示唆的なモンスターでもある。