被災地や避難所の人たちに手渡したい本

 「この人の手にかけられたために恐くてなにも書けなくなる、なんて人もいるんじゃないか」

 これは、はじめて斎藤美奈子の著作(『読者は踊る』)を読んだときに思ったこと。彼女は辛口文芸評論家として有名だが、遠慮や媚びがないから「辛口」のように思えるだけで、実際は「阿りがなく」かつ「鋭い」。おそらく書き手本人も気づいていなかったと思われるようなその人自身に潜んでいる偏見や欺瞞を、歯に衣着せぬ物言いでずばり言い当ててくる眼力と手腕に、読んでいていつも舌を巻く。

 その斎藤美奈子が、「文芸時評」(朝日新聞,3月29日)で今回の震災(東北地方太平洋沖地震)に触れていた。書き過ぎず書かなさ過ぎず、良い記事だった。


 出版・文筆業界でもチャリティーが動きはじめ、各地で絵本を送る運動がスタートしたり、「週刊文春」が28名の文筆家の「苦難を乗り越える一冊」を紹介したり…

共感しつつも、よぎる疑問。こんなときに本?「そんなもの後回しだ」と言われない?

 彼女は「非常時には旧著に学ぶ点が多い」と、田辺聖子の『欲しがりません勝つまでは』を挙げ、また平山譲の『ありがとう』の2冊を紹介する(少し違う視点からもう一つ、宮沢章夫の『ボブ・ディラン。グレーテスト・ヒット第三集』も)。それらにざっと触れた後、次のように書いていた。

私は文学を、読書を過大評価はしていない。ただ、文学にしかできない仕事があるのは事実だし、読書でしか得られない効用があることも知っている。

あなたが過去に元気づけられた本、慰められた本を思い出そう。その情報をツイッターやブログやメールで流そう。

現地にボランティアで入る人は1冊や2冊でも本や雑誌を荷物に入れていこう。(中略)不安がる子どもたちや高齢者のために読み聞かせをしよう。

 そして最後に、

本なんか邪魔なだけ?そう思うならやめておけばいい。支援の仕方は多様でよいのだ。


 震災のニュースに触れる度に「自分にもなにかできることはないか」と思わずにはいられない反面、正直なことを言うと、「がんばろう日本」「ひとつになろう日本」という今の雰囲気についていけない自分がいる。また普段ちょくちょく読書してはいても、文学にしかできない仕事やその効用をはっきりとわかっているとは言えず、「こんなときに本?」という疑問がよぎらないと言ったら嘘になる。

 が、そのような不信や疑念以上に、うまく言葉に表せないとはいえ、読書で何がしかを得たり援けられたりしていて、それが自分にとって重要なものだということもまた確かでもある。だから、斎藤美奈子の言に倣って3冊ほど挙げてみよう。直接「元気になる」「慰めになる」ということにはならないかもしれないが、どれも自ずと「生きる意欲」と呼べるものを心の底の方で動かしてくれる(引き出してくれる)本だと思っている。



★『お伽草子

お伽草紙 (新潮文庫)

お伽草紙 (新潮文庫)

 太宰治といえば『人間失格』や『斜陽』などが有名で、なんとなく暗澹・鬱屈、もしくは無頼的なイメージがついてくるが、この作品は違う。第2次大戦中、空襲の最中でも防空壕の中でなかば意地になって執筆したという作品らしく、太宰の筆に生気が溢れ、おもしろくて、温かみがある。個人的に太宰の中でどれよりも一番好きな作品。誰もが知っている「瘤取りじいさん」「浦島太郎」「カチカチ山」「舌きりスズメ」を、とびきりの空想力と深読み勘ぐりを駆使して太宰が編み直した、昔話のパロディー集。岩波にも新潮にも併録されている『新釈諸国噺』も秀作。


★『精霊たちの家』

 舞台は、少し前に鉱山事故とその救出劇で世界の耳目を集めたチリ。クラーラとブランカ、アルバ、母娘3世代の物語。クラーラの時代は幽霊や精霊が当たり前。“幻想”が生きていて、たとえば蟻が力を貸してくれたりもして、ありえないことも普通に起こるような世界だった。時代が下るにつれて幻想がだんだん薄れ、“現実”が否応なく抗しがたく迫るようになってくる。しかし、生きている者も逝ってしまった者もそこにいて、どんな時代でも(力強くとも弱々しくとも)人は生きる。なにより、「チリのシェヘラザード」が語る豊かな物語に心を鷲掴みされて夢中になること、必至。


★『イワン・デニーソヴィチの一日

イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)

イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)

 シベリアのとある極寒の強制収容所における、題名の通りイワンという男の「一日」を淡々と、しかし丹念に描いていく、ただそれだけの話。なのに退屈どころか、心をひきつけられる。果てしない強制労働、密告や裏切り、極寒など、過酷で悲惨な状況の中で、イワンは一歩一歩、一つ一つ目の前にあることを受け入れ、取り組み、生きていこうとする。人はどんなに些細なこと、どうでも良さそうなことに対してもなにかを見出し、思わず夢中になり、そして、一見すると辛く過酷だったその日の終わりにでさえ、充実感と幸福感に満ちて眠ることができる。イワンの姿はそれを教えてくれる。



 以上、とくに変わったタイトルが並んでいるわけではないが(ちなみに順番に意味はない)、どれも、もし手に取る機会があればそのときは是非読んでみてほしいと、自分が被災地に行くことがあれば持っていって手渡したい・読み聞かせたいと思える3冊。

 たった一人にであっても、それで十分。このエントリが「支援の仕方は多様」の一つになってくれればと思う。