「東京生まれ、東京育ち」であることのデメリット

 多くの人にとって、東京で生まれ、東京で育つということは、一見良いことのように、ないし有利に思えるかもしれない。しかし、おれは必ずしもそうではないと思う。むしろ「東京生まれ、東京育ち」は、その人にとってかなりのデメリットをもたらしているのではないかとさえ思っている(念のため言わせてもらうが、ここに言う東京とは、多摩を含む「東京都」のことである)。

 あらかじめ断っておくと、これから述べることにおいて確固した根拠があるわけではなく、あくまでおれ個人の(まだほとんどが社会に出ていない大学生であることも多い自分と同年代に関する)観察と印象による推論、というより憶測の話なので、そこのところはご了承ください。

 ちなみにおれ自身は山口県生まれだが、幼稚園児のときに東京に越してきて以後ずっと東京なので、育ちは東京。ただし東京とはいえ「三多摩」と呼ばれる23区外である。また高校は新宿にあったので、地方出身者が感じるのだろう「上京時の気分」と似たようなものを抱いたこともある。


 はじめに言ってしまうと、

 地方生まれ、地方育ちの人(とくに「育ち」の方に力点を置く。以下、地方出身者)の方が、東京育ちの人よりも、人間に深みがある人が多い。「人間に深みがある」なんてなんのことかわからないかもしれないが、つまり、「(曲がりなりにも)自分の視点を持っている」「精神的にあまりブレがない」、そして「話していておもしろい」というようなことである。

 その由来は何なのか、考えられる理由が2つほどある。


東京の良さ

 その前にまず、東京の良いところ、魅力的なところはなんだろうか。

 インフラが充実していて、とくに電車やバスといった交通機関が網の目のようにめぐらされいて、運行も分単位と頻繁なので移動が楽。日用品や食料の調達に難がない。さまざまな教育機関がそこかしこに点在している。最新ないし旬の情報や文物が集まりあるいは発信され、ファッションなど流行が先取りされる。エンタメ施設が多いので遊ぶのにも困らない。ドラマや映画で観たことがあったり使われていたりする景色・スポットが数多く、そこにいるとちょっと嬉しい。いろいろなバックグラウンドをもつ人々が多く集まってくる。

 これらはほんの表面的なことだから他にもいろいろ挙げられるかもしれないが、だいたいこんなところだろうと思う。こうした良いところ、魅力的なところを否定するつもりはとくにない。


地方生まれ、地方育ちのメリット

 では、地方生まれ地方育ちのメリットはなにか。

 「複眼的に日本を見ることができるようになるないし「東京を相対化することができるようになるということである。

 今の日本は政治体制が中央集権的で、それは文化や経済にも影響し、それらが一極集中しているところがある。テレビのニュースのちょっとした特集やバラエティー番組で取り上げられる「今の日本はこういう傾向にある」「若者のあいだではこんなことが流行っている」と言われているときは、ほとんどの場合「日本≒東京」であることが多いのではないかと。もっと言えば、この「東京」はたいがい23区のことである。メディアは「東京だけ」を見て大雑把に「日本」としている節がある。

 ずっと東京に住んでいるくせになぜそう思うのかと問われれば、おれは三多摩で育ったからである。たとえば少し前に「スイーツパラダイスが流行ってる」などと言われた当初、おれの周りにスイパラを知っている奴などほとんどいなかった。むしろ知らないのが普通で、それでも情報伝播は早く、言われてからまもなく体験者は増えていったが、あくまでそれは、テレビなどの大衆メディアによって知らされはじめてからの話である。つまり流行が作られる様を見た。

 この喩えでは流行ものだったが、こういうことはいろいろなレベルで起こっているだろう。しかも、それが「(今どき)常識」みたいにされることが少なくないのではないか。そして東京育ちの人は、それを素で「常識」だと思っている節がある。加えて、そういうものが最先端ないし旬だという「常識」さえもあるので、なんとなく優越感めいた感情も抱きがちになる。さらに厄介なのは、それに本人が気づきもしなければ疑問にも思わないことが多いということである(別の言い方をすれば、「与えられることが当たり前」という受動性に慣らされているために能動性に乏しいように思える)。

 対して、地方出身者が上京した場合、すでに自分の出身地で養われた視点を持っているので、多少は浮ついた気持ちになることもあるだろうけど、「東京」に対してある程度距離を取って見ることができている(もしくは、それができる素地をもっている)ような気がする。つまり「東京が日本の全てじゃない」ということが、無意識だとしてもわかっているのではないか。ここで重要なのは、東京都ではない別の道府県で「暮らしていた」という実体験である。「暮らす」と「行ったことがある・滞在したことがある」では大きく違うし、「生みの親より育ての親」は土地についても言えるのではないかと思う(ために、先ほど「育ち」の方に力点を置くと断った)。

 東京で育つと、「日本≒東京」ではないということが、たぶん自分が見てきたもの(見るもの)とメディアの言うことにあまり差がないために、実感としてわかりにくいのである。三多摩方面となると実際はけっこう隔たりがあるように思うのだが、それでもわかりにくい。なぜなら新宿や渋谷、赤坂、銀座などに容易にアクセスできるし、それだけなら埼玉や千葉でも同じかもしれないが、なにせ三多摩には「東京都」といういわばブランドみたいな住所がついている。だから「東京」という言葉の匂いが意識に染みついている。

 (余談。同じ都民でも、23区の区民である人間と、三多摩の市民である人間とでは、その意識に隔たりがある。おれは区民意識も嫌いだが、三多摩市民意識も好きになれない)

 とりあえず、地方出身者が上京した場合で話を進めたけれど、自分の出身地からべつの都道府県へという場合でも、これは同じである。要するに、「日本」というはっきりしているようで曖昧なものを内側から少なくとも2つの視点で見ることができるようになるのでないか、ということが言いたい。これはかなり得がたい点であるとおれは思う。

 それはとりもなおさず、「日本で暮らし生きている(生きていく)自分」のことを考えたときなどに大きく影響してくることなのではないかと思う。あるいは、海外で活躍するようになったとしたら「日本人である自分」を考えるときがくるかもしれない。そういう時に自国を複眼で見ているかいないかで、他国を見るその人の目も変わってくると思う。そして、「日本」という大きな事柄に限らず、その複眼は、学問や仕事や趣味や育児などなど、至るところで活かされていくのかもしれない、とも思う。


 いま1つ、1つ目の理由ほど「人間の深み」に関係すると言えるかはわからないことだが、挙げておく。「親元を離れるきっかけを得やすい」というのがある。

 多くの地方出身者は大学進学に際して、進学先が東京ではなくても、自分が生まれ育った土地・街から一度離れる可能性が高いのではないかと思う。対して、それまで東京都内で暮らしていた人は、都内だけでも大学・短大・専門学校が腐るほど存在しているので、あえて都外の学校を受験するということはそう多くない。都内の学校に受かれば、交通機関が充実していることもあって比較的どこからでも通学は可能であり、とくに進学先が私立であった場合は、金銭的な理由から実家を出ることはあまりないと言える。

 なぜ、これが重要なことに思えるのかというと、現代の日本では社会的な加入儀式=イニシエーションが事実上存在しないからである。たとえば武士で言うところの「元服」に当たるもので今も成人式という催しごとはあるにはあるが、形骸化しているので本来の機能はほとんど成していない。儀式の前には神話がある。

 『神話の力』という本でジョセフ・キャンベルが言うには、神話とは、有体に言えば、「象徴(メタファー)で紡がれた人生の教科書」のようなものである。そして儀式とは、いわば「神話を再現・具体化した」もの。なぜ成人式のような儀式をわざわざ行っていたかといえば、いくつか理由はあるようだが、その一つに「人間はひとりでに大人になれるわけではない」という考えがあったためらしい。

 昔の人々にとって、人生は、最終的には自然や宇宙との関わりにおいて捉えられるべきものであるけども、その前に「子どもは自分の属する社会に入っていき参加する」、つまり「大人になる」必要があると考えられていた(これは今も変わらないが)。同時に、前述のように「人間はひとりでに大人になれるわけではない」とも考えられていたので、大人たちには、自分たちの社会に属する子どもたちを「大人にする=社会に招き入れる」義務があり、その方途として儀式があった。

 儀式が執り行われる年齢はおおよそ決められており、「なかば無理やり」ということもあったらしい。しかし、そうでもしなければ子どもは大人になれず、ひいては部族の危機にも繋がりうるということもあって、儀式は厳格に行われた。子どもが儀式に耐えられず命を落とすなんてこともときにあったらしい(それくらい「大人になる」ということはエネルギーを費やしストレスを伴う場合もある、ということかもしれない)。儀式によって、子どもは大人から「今日からお前は大人だ」と宣告され、大人という自覚を持たされる。そして、この日から日常ががらりと変わる(たとえば男子の場合、狩に参加させられたり)。

 ちなみに、儀式を受けるのは基本的に男子だったらしいが、おそらくそれは、女子の場合は身体が勝手に大人になっていくためでないかと考えられている。月経や出産(避妊とかないし)といった身体的変化が起こるたびに、精神がそれに引きずられるようにして成長し、とくべつ儀式などしなくても大人という「自覚」を促された、と。その点、たしかに男子は確認できても「あ、毛が生えてきた」くらいだし、難しいのかもしれない。ただし、現代においては社会的な男女のあり方に対する意識がほとんど変わらなくなっているので、「大人になる」という点での男女の違いもほとんどなくなっていると思われる。

 ここまでやや長く「儀式(イニシエーション)とはなにか」について述べたが、要するにこういったイニシエーションが見当たらない現代の日本においては、少し中途半端ではあるかもしれないとはいえ、「親元を離れる」というのが、ある意味それの変わりになっているところもあるのではないかと思う。就活ないし就職というのも、あるいはそんな感じかもしれない。

 べつに東京育ちでもこれは可能なことではあるのだが、いわば「東京のメリット」の方が強く働くので、実際には、親の負担を増してまで実家を出るための差し迫った理由を具体的に見出すことができないのである。その点、地方出身者だと自然な流れ(成り行き)で、かつタイミング的にも良い感じで、イニシエーション代わりの「親元を去る」ということが、まだ親の援助の下とはいえ、行われやすいと思うのである。

 あと、「ここではないどこかに抜け出したい」「なにかでかいことをしてやろう」と思った若者が地方出身者だった場合、「とりあえず上京しようか」と曖昧ながらも行動に移しやすい反面、東京で育った人が同じ感覚で東京を出ようと思ったとしても、どこへ行けばいいのか考えるところから始めなければならない。上京とはちがい「なぜ、そこを選ぶのか?」という問いが付いてきてしまう。「とりあえず」の行動ができないのだ。


[東京」という通過点

 以上のような理由ないし推測から、おれは東京生まれ、東京育ちの人よりも、地方出身の人の方が人間に深みがあるのだと思っている。もちろん地方出身者であっても「にわか都会人」みたいな浮薄で中身のないおバカさんもいるし、そのまま「東京」に染まる人もいる(「東京」というところはそういう人たちが多く集う場所でもある)。けれど、おれは地方出身の人を羨ましく思うし、ときに劣等感めいた思いすら抱くこともある。

 おれたちの世代においては東京生まれ、東京育ちの人が多いとしても、その親の代、あるいは祖父母の代を見れば、東京でなく地方出身者であることが多い。そういう根を張り切れていないとでもいうところに、「東京」というブランドで無意識に自己規定しているところが、おれの世代の東京生まれ、東京育ちの人には、もしかしたら少なからずあるのかもしれない。

 おれたちの親の世代は、職を求めてか豊かさを求めてかなんだかで、こぞって東京へ移動し、それに伴って都心周辺は急激にベッドタウンとして開発されてきた。移動してきた親の世代の人からすれば「東京に行けばなにかある」という想いも働いていたかもしれない。明治維新からこの方、たしかに東京にはあらゆるものが集中し、相互作用や化学反応を起こし、いろいろ新しいものも生まれてきたかもしれない。

 しかし、手洗いをしすぎて必要以上に油分が洗い流され逆に手荒れをおこしてまった、みたいにやたらと洗練されすぎた今の東京には、もはや、その「なにか」はないと思う。なにもないとは言わないけれど、今の東京は日本の中にあるいろんな流れの「終着点(始発点)」などではなく、「通過点」にすぎない

 東京で育ったおれにとって、東京で暮らす(生きる)ということは、アルバイトとして働いているような感覚になんとなくちかい。真面目に積極的に働いてもアルバイトであるがゆえの限定ないし限界があって、しかもそれにはすぐにぶつかり、やれる範囲なんてたかが知れてしまっている。アルバイトでは見えないもの、知ることのできないことが多すぎる。そんな「やりきれなさ」みたいなものを感じる。


結論

 いわば、おれは東京から「亡命」したい。