ただ生きたいと思う、その気持ち 『コーカサスの金色の雲』

 重い内容だけど重苦しくない、生きいきとした小説だ。一度読んだらクジミン兄弟やアルフズールを忘れられない。


 おれはまだ、食べものを求めてさまよい歩く、といったようなひもじい思いをしたことはない。生まれてからこのかた、あるいは物心ついた頃からずっと日本は不況だと言われ続けているが、一方で「飽食の国」と揶揄的に喩えられる国の人間で、幸いなことに、食べるものに困ったことなどない。

 でも、これは決して当たり前なことではなくて、たまたま自分は、普通の暮らしをしていくうえで取り立てて心配する必要がない状況で育ったというだけのことであり、これから先も同じようにしていれば同じように衣食住に困らない生活をおくっていけるとは限らない。ということもまた当たり前なことである(食糧自給率や国の借金を思い合わせただけでも、もはや楽観などできない)。

 たとえば『復讐する海』という本では文字通り食べるものがなく調達することも困難、という極限状態での飢えと渇きの話だった。『コーカサスの金色の雲』ではこれとはまた違う飢えがあり、それは、食べるものがまったくないわけではないが、圧倒的な食料不足による“ひもじさ”が当たり前というものである。


 時は第2次大戦もまだ終わっていない1944年、当時のロシアには至るところに孤児院があった。食料の配給は足りないし、院の管理職にあたる人々は平気でそれをくすねるしで、子供たちは常にひもじさから逃れられず、パンの皮一切れ(1個じゃない)のために奴隷的行為に身を置き、盗みを働き、ときには身売りもする。今日を生き抜くことに必死の毎日をおくっていた。

 と言うとなんだか悲惨で暗い印象になるが、子供たちが卑屈かと言えば、決してそんなことはない。むしろ、その姿は生命力と生きようとする意志に満ちていて、外嫌味がなく、愚直なまでにまっすぐであって、置かれている状況から目を逸らしていない。主人公のサーシカとコーリカという双子のクジミン兄弟もそんな子供たちの内の“1人”である(かれらに言わせれば2人で1人の“クジミン兄弟”)。


 冒頭で、クジミン兄弟が孤児院のパン切り場の前でこんなふうに願う場面がある。

…ほんのちょっと、一瞬、ネズミのようにパン切り場に入り込むだけでいい!形のそろわないパンがテーブルの上に山盛りになっている、またとないぜいたくな光景を一目でいいから現実に見てみたい。(中略)そして、酔わせるような頭がくらくらするパンの匂いを胸にではなく腹いっぱいに吸い込みたい……。それだけ!それっきりだ!(中略)だが、パン切り場の鉄の扉にどんなにすり寄ってみても、クジミン兄弟の頭に浮かんでくる夢のような場面は実現しない。鉄は匂いを通さない。

 ある日、各々孤児院から子供たちを集めてコーカサスに移住させるという通達が上層部から送られてくる。孤児たちにとってコーカサスのイメージは、

学校で暗唱させられたから(教科書なんてないんだ!)「そういうところがある」、というより、「なんだかわからない遠い昔にあった」と知っているだけ。

 というものだった。一方で「コーカサスは豊かな土地」という触れ込みもあった。クジミン兄弟は自ら希望して、500人の孤児たちと共にコーカサスへ向かうことになる。“山盛りのパン”とコーカサス第2の高峰カズベクのイメージがダブって見える。

 かれらの移住先であるコーカサスは文字通り「黒土地帯」の肥沃な土地であり、少し前まではチェチェン人たちが暮らしていた村だった。移住者たちはもぬけの殻となった家屋に住み、放り出された田畑から収穫を得つつ、コーカサスの生活をスタートさせていく。当のチェチェン人たちはというと、ナチスに寝返った・協力したという容疑でその村からシベリアなどに強制移住させられており、そのとき山岳部に逃れた人々が、一方では散発的にゲリラ活動をしていた……


 物語の背景には、当時すでに始められていたスターリンによる強制移住という政策と、チェチェン問題がある。背景とはいえ、この2つが物語を動かし、また登場人物たちを翻弄していく。
(そしてこのために、プリスターキンがこの小説を上梓した1980年には公に発表することを禁じられ、日の目を見たのは87年(ゴルバチョフペレストロイカが始まってから後)であった。が、発禁処分の憂き目にあっている最中も、この小説は、原稿のコピーが多くの人々のあいだで回し読みされていたらしい)

 この物語は著者であるプリスターキンの体験が下敷きになっているらしく、彼自身、子供の頃は妹と共に孤児院で生活をおくり、コーカサスへ行き、なんとか逃げ出し、生き延びた。だから彼自身の話でもあるのだろうが、この小説で描かれているのは何だろう。

 強制移住という横暴さ、チェチェンに対する政府の非道ぶり、権力の腐敗や悪弊に向けた告発。そういった反体制の面はもちろんあるのだろう。事実、随所で鋭い言葉や描写を目にする。でも、なにかもっと違うものがあるようにも思う。

 主人公がクジミン兄弟であること、子供の視点で描かれていることを思い合わせるべきだ。


 先にも述べたとおり孤児たちは常に空腹で、食べられるときに食べておこうとするし、盗れるときに盗っておこうとする。まず何よりも食べるものが先決なのである。孤児院にはさまざま民族の子供たちが集まっていて、かれらの共通点の一つにこの“ひもじさ”があり、ひもじさに国家や宗教、(社会的な意味での)民族の違いはない。子供たちのあいだでも相手を出し抜いたりコケにしたり喧嘩したりといったことはあるが、そこに差別意識と呼ばれるようなものはなく、ただ「生きていく」ことそれ自体のために起こるいざこざだ。

 たしかに大人たちも、機関士や車掌、ジーナおばさん、レジーナ先生をはじめ皆がみんな、排他的というわけではない。自分たちの命を脅かし奪いかねないチェチェン人たちが恐怖の対象になるという点でも大人も子供も変わらない。しかし、その恐がり方が微妙に違う。必ずしも民族意識に囚われているようには見えない大人たちと、子供たちとのその違いはなんなのかが気になった。

 もしかすると、それは「死」に対する意識かもしれない。大人たちは「死にたくない」と思っているために、自分の命を脅かし奪いかねない相手に対して、恐怖の念と共に敵意も芽生がちになる。一方で子供たちは、まだ「死」という儚さを知らない。ただ「生きたい」と思っているだけだから、ときにためらいがなく恐いもの知らずな行動に出たりもするし、恐がってはいても実はなぜそこまで恐ろしいのかわからない。チェチェン人やロシアの兵隊がどうして争い、殺しあっているのかがよくわからない(クジミン兄弟の視点もここにあるから、チェチェン問題に無知の人でも全然支障ない)。

 「死にたくない」と「生きたい」は同じことを言っているようにも思えるが、実はけっこう違うことなのかもしれない。たとえば、「生きる希望をもつんだ」などと言われたとして、クジミン兄弟はきょとんとするだけなんじゃないか。サーシカが「死」を意識したときにそれまで知らなかった恐怖を覚えた、という場面がある。子供には「死」をはじめて意識する瞬間がおとずれ、「生涯ずっと、大人はその意識を持ち続けていく」と地の文で語られてもいる。


 今の日本で暮らしていると、ひもじさや死につながる身の危険といったものを意識することは、言ってもあまりないかもしれない。反面、世界の至るところにはそういうものと文字通り隣り合わせで暮らしている人たちが世界中には今も大勢いるわけで、なんというか、偶然とはいえ、他のどこでもなくこの国に自分が生まれた、ということはやはり1つの幸運であることを忘れてはならない。

 と同時に、生まれた土地や国、育った環境、政治事情等がまったく違うということは事実だが、むしろ逆に、その違いが大きいからこそ「自分と同じだ」と感じるところが際立ち、気づかされることも多くなる。

いずれにしても、死の恐怖のあった夜を突き抜けて進んだことは、生きたいという、僕らの無意識な熱望の現れだった。ぼくらは生きていたかった。全身でそれを望んでいた。それがかなったのは皆ではない。

(コーリカの回想の独白)

 気楽に呑気でいるのも良いけど、この小説で描かれている眼差しは心に留めておきたいと思う。



コーカサスの金色の雲 (現代のロシア文学)

コーカサスの金色の雲 (現代のロシア文学)