これからの「世界史のOS」の話をしよう 『新しい世界史へ』

 世界史は生まれ変わらなければならない―「世界はひとつ」であって、端的に言えば、「地球主義の考え方に基づく地球市民のための世界史」へ。「地球社会の世界史」へ。

 「分有から共有へ」「独自性(ないし相違)よりも共通性(相関性・連関性)に着目する」という転換がいま、必要とされている。

 ということでこの本の主張は、とても明快だ。あるいは「地球市民コスモポリタン)」「世界はひとつ」という言葉はたぶん若い世代になるほど、それほど突飛な印象を受けるものではないように思う。なんとなく「当たり前じゃん」と、壮大というよりセンチというか、逆に口にするにはちょっと恥ずかさを覚えるかもしれない・・・しかし、著者の羽田正はあえて明快に、かつ、このような言葉を用いている。この本は「このままではまずい」「とにかく、声を上げておこう」という想いから書かれた「中間報告書のようなもの」だという。

 一方で著者・羽田氏の筆運びは、けっこう慎重である。というのも、問われている事柄・内容はけっこうナイーブなものなのだ―ひとつ、単純化に陥っては元も子もないため。ひとつ、「中間報告書」すなわち現在ただいま検討中であるため。そしてひとつ、おれ思うに、この本がもし中国で公刊されようものならただちに検閲に引っかかり、発禁処分になるのではないか・・・?つまり、見方によっては著者の主張は過激とも映る。

 真摯な中間報告書だった。主張と同様、論点も明確に示されており、目次を読めば、本書ではどういう点が着目され、どのように議論が展開してゆくのか、おおよそのところは掴めるかと思うので引用しちゃう(カッコ内はおれが付けた補足です)。そのあとはよしなし事をいくつかポンポンポンと並べてゆきながら、本書のもう少し具体的な内容についても、必要があるときにその都度触れてゆきます。

序章 歴史の力 (なぜ「新しい世界史」が必要なのか?)

第一章 世界史の歴史をたどる

  1. 現代日本の世界史
  2. 戦前日本の歴史認識
  3. 世界史の誕生
  4. 日本国民の世界史

第二章 いまの世界史のどこが問題か?

  1. それぞれの世界史 (いまの世界史は、決して一般的・普遍的―万国共通のものではない)
  2. 現状を追認する世界史 (いまの世界史は、自と他の区別や違いを強調する)
  3. ヨーロッパ中心史観 (いまの世界史は、ヨーロッパ中心史観から自由ではない)

第三章 新しい世界史への道

  1. 新しい世界史の魅力 (読み始めに、序章に加えてここを読むとよいかも)
  2. ヨーロッパ中心史観を越える
  3. 他の中心史観も越える (「イスラーム世界」や中国史観、自国史などについて)
  4. 中心と周縁 (中心はいらない/周縁という視点も行き過ぎると中心化に陥りやすい)
  5. 関係性と相関性の発見

第四章 新しい世界史の構想(あくまで著者個人の草案)

  1. 新しい世界史のために
  2. 三つの方法 (以下の「3」「4」「5」がそれ)
  3. 世界の見取り図を描く
  4. 時系列史にこだわらない
  5. 横につなぐ歴史を意識する
  6. 新しい解釈へ (科学やナショナリズムなどをどのように扱うべきだろうか?)

終章 近代知の刷新

 
 本書の主張はPCに喩えると、いままでの世界史のOSではこれから先、対応できない(というより害をなす)。アプリケーションではなく、OSを変えなければならない―ということである。

 読後すぐに思ったのは、「新しい世界史」の実現化は口で言うほど容易くないということ。てか激むずだと思う。というのも、この本で議論されているのは要は、「ものの見方・捉え方」であるのであって、一筋縄ではいかない問題と言える。しかし逆に、歴史学に限定されないもっと広範に通じるという意味で、この本は、たとえ世界史に興味がなくても一読してみる価値はあると思う。

 さておき―現在出版計画が進行中の『ミネルヴァ世界史叢書』なるものを、おれは首をながーくして待っています!(「あとがき」を読むに、この『新しい世界史へ』で述べられている発想や構想を種に編集される感じだろうと思われるからであって―つまり、おもしろそうなのだ)。


 ※ 以下、「本書」とある場合は『新しい世界史へ』のこと。


歴史観(認識)を左右するは教科書というより、学習指導要綱

 「興味がなければ第一章は飛ばしてもらって構わない」と羽田氏は断っているものの、ここもちゃんと読んでおいたほうがよいと思う。ちなみに第一章「世界史の歴史をたどる」の内容は「現代日本における世界史理解の概略とその成立の経緯の確認」である。

 この項のタイトルにした点がひとつ、ポイントである。この章を読むことで学習指導要綱の内容がどのように変わってきたのか、また社会との影響関係がどうな感じだったのかが概観できる―「世界の見方と世界史の理解が表裏一体となって、私たちの世界認識を強く規定しているのである」

 ところで章末では、『日本国民の世界史』という本に触れられる。これは1960年に当時の教科書検定で不合格となったため一般向けとして岩波書店から出版されたものだった―実のところ、これまでの学習指導要綱の内容の変化がちょうど、この本の主張を徐々に取り込んでゆく格好になっているのである。一般にけっこう読まれたようで、どうやら日本人や社会にかなり影響を与えてきたのではないかと。

 おれ思うに、目まぐるしく変化したと言われる戦後にあっても上の1冊の影響が行き渡るのに50年という時間を要したことを省みて、たぶん、羽田氏は切迫感とはべつに、だいぶ長い目のもとにこの『新しい世界史へ』(あるいは『ミネルヴァ世界史叢書』か、なんにしても)という一石を投じておくべきだと考えたのだろう。 


グローバルか、ローカルか

 著者はべつに自国史を否定しているわけではない。現時点ではやはりまだまだ必要なものだろうし、ひとが自分の祖先や属す社会・土地の過去を(ルーツを)知りたいと思うのはごく自然な欲求だろう―けれども、それとはべつに、「世界史」は「新しい世界史」へと変わってゆく必要がある。と説いているのである。

 第二章「いまの世界史のどこが問題か?」において、問題点が3つ挙げられる(目次参照)。それらを踏まえたうえで、第三章で示される新しい世界史のポイントは「中心史観からの脱却」と「共通性・関連性の重視」の2点にあると言う―第二章の3点のうち個人的にもっとも重要だと思う指摘は、いまの世界史は「自と他の区別や違いを強調する」という点である。

 著者曰く、相違や独自性を強調・主張しすぎるあまり国際紛争や歴史問題、難民問題等々が絶えないという面があると言う―言い換えると、世界に見られる多様性を「豊かさ」と見るのではなく、「優劣」や「損得」をつけるための「相違や独自性を強調」になっている面が多すぎる、ということだろう。

 そういう不毛な争いを減らしてゆくためにも、現代は(これからは)、「同じ地球上に生きている」つまり「地球市民」という意識を涵養する、「国境や民族に囚われないところの大きな“自分”」を思い描く援けとなる歴史が必要だと、羽田氏は訴える―たとえば、明治維新において主として活躍したのは西南雄藩ではあるものの、日本人はそれを「自分たちの歴史」と捉えることができるように。
 
 手前味噌で恐縮なのですが、個人的にも以前、1年ほど前にあった先の大震災における都知事の「天罰発言」を受けてかなりちかい話題を書いたことがあった→「その日本を内から見るか外から見るか」―このエントリーは要は、「マクロ(グローバル)に見るか」「ミクロ(ローカル)に見るか」という話なのだけど、どちらの視点が正しいか間違っているか、良いか悪いか、ということではない。

 ついでにおもしろかったので、問題点の一例として、第二章の2「それぞれの世界史」を紹介しておこう。フランスと中国、それぞれの歴史の教科書の目次を参照しつつ「日本人の学んでいる世界史は一般的でも普遍的でもない」ことが示されるのだけど・・・ホント、目次を一読しただけでそのちがいは一目瞭然なのだ!

 そもそもフランスの場合は、自国史と世界史で分けられておらず単純に「歴史」という教科のようだが、おそらく、おれたちが「日本史」を学ぶようにして「世界史」を学んでいる(自国史がほぼまんま世界史になっちゃう感じ)。逆に中国の場合は、日本と同じように自国史と世界史に分かれているものの、世界史の目次のはじめのほうを眺めて驚きなことには、古代文明になんと「黄河文明」の項目がないのだ。中国では自国が関わる事柄はすべて自国史に割り振られ、世界史のほうではあたかも中国が存在しないかのように叙述されているらしい。

 この2つの例だけを見ても、日本人の学ぶ「世界史」が実は、あくまで「日本人にとっての世界史」だということがよくわかる。

ヨーロッパ中心史観

 本書でたびたび言及されるのが「ヨーロッパ中心史観問題」。この点、最近はわりと相対化されたと言えるかもしれない。しかし決して、払拭されたわけではない。たとえば、砂糖とか茶とかチョコレートといった「モノ」を扱った世界史モノもその実、ヨーロッパ中心史観を相対化させると共にそれから逃れられてはいないのだという―いままでの世界史はいわば、概念としての「ヨーロッパ」を中心にした叙述がなされてきたようなものだが、「モノの世界史」は往々にしてその世界史を前提にして展開しているためだ。

 そう、「ヨーロッパ」とは、概念的な言葉だと言える。概念としての「ヨーロッパ(西洋・欧米)」の意味内容はつまり、「進歩・民主主義・自由・平等・科学・普遍」等々あらゆる「正の価値」を表していることが多い。だから、「ヨーロッパ」と言ったときには必ずしも、地理的空間的な意味ではないのである。

 日本史における江戸時代以降の「西洋」を考えるとわかりやすいかもしれない。江戸時代、「西洋」とはオランダに等しかった。しかし、明治維新前後にオランダはそれほどじゃない(というか遅れている)とわかるやイギリスやフランス、ドイツを指すようになり、戦後になるとアメリカに移った。概念としての「西洋」は一貫しているように思えるが、地理的空間的には同一ではなかった。

 そして問題は、この、概念としての「ヨーロッパ」を基準に歴史を測り続けているということ。

 読みはじめのときは正直、ちょっとこだわりすぎでない?と思ったけれど読み進めてゆくうちに、これはおれの思う以上に根深く、むずかしい問題だと感じるようになった。それと米原万里の言っていた「外国語を学ぶと必ず患う」という「外国文化絶対化病」を思い出した*1―ある外国語を学ぶと、その外国語か母語を絶対化してしまうという話で(ふつう外国語が絶対化されることが多い)、「英語のほうが明快であいまいさがなく優れている」とか「日本語はこんなに豊かだ、すごいのだ」とか―羽田氏も「ヨーロッパ」という(実は)絶対化されている基準で「自と他を区別し、強調する」ことに危惧し、警鐘を鳴らしているのだろう。

 ただ同時に、第3章「3:他の中心史観を越える」あたりを鑑みるに問題は、「ヨーロッパ」という概念とはまたべつに、「中心」のもつイメージないし概念にもあるのではないかと、思ったのだった。この点はべつに項を設けて後述します。

 ところで、おれはここ1・2年ほどのあいだ、名づけて「アメリカ(ないし英語)忌避症」を患っている。症例―たとえば映画を観るとき、アメリカ製(あるいは、音声が英語)というだけで観る気が萎えてしまい、外国文学に手を出すときには、アメリカ文学というだけで伸びかけた食指が縮む(とくにジャンル的にはSF―これは外国を見た場合、英米文学とほぼ同義)・・・名画座にでも行かないかぎり洋画といえばほぼハリウッドしか上映してないし、翻訳モノとその情報もなんか英語圏からのものが圧倒的な量のよう―と、見渡すとアメリカモノばっか目に付くということもあって、アメリカないし英語モノにおれは倦んでいる。一方で、いつも思う。これは多分に偏見でもあって、この点にこだわっているために素晴らしきものまでもスルーしてしまっているのでは・・・?損しているのでは・・・?

 この、「アメリカ(ないし英語モノ)忌避症」とは実際のところ、概念的としての「ヨーロッパ」に対する反発の一形態なのかもしれない。

 ちなみに、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』についても本書では、「読み物としておもしろいだけでなく、新たな歴史叙述の可能性を開いた」と絶賛様に触れられるのだけど、一点だけ、大きな欠点があるという―ダイアモンド氏が概念としての「ヨーロッパ」を無批判に用いてしまっている点である。気づかなかった。再読するおりにはこの点にも気をつけて読んでみようと思う。


東インド会社とアジアの海』―「モノの世界史」と「海域世界」

 著者の羽田正という人をおれは、不憫にして知らなかった。と思っていたら以前この人の著作を1冊だけ読んだことがあると、裏表紙にある著者の略歴を見て判明した。しかもそれは(内容に関する記憶はあいまいだけど)読んだときの感触はいまでも強く残っている本だった。

東インド会社とアジアの海 (興亡の世界史)

東インド会社とアジアの海 (興亡の世界史)

 読んだのは大学入学直後だったように思う。もともとおれは世界史が好きだったものだけど、しかし時代が下るにつれ、とくに近代以降はおもしろ味が薄れてゆき、世界史というわりに視野が狭まって、同時に、面倒くさくなってゆくなあと。なぜなら、ほとんど「ヨーロッパの政治史」しか扱われていないと言ってよいから。しかもやたら細かい。反対に中南米や東南アジアとなるともはや、ないに等しい。この点もつまらかなった。

 『東インド会社とアジアの海』という本はタイトルにあるように、東インド会社(1つではない)の沿革や活動を追いつつ、また、舞台はアジアの海(ここにはアラビアや紅海も入る)である。ここに描かれていた歴史は高校世界史とは様相を異にするものだった。端的に言うと、高校世界史にあるさまざまな項目と項目との狭間が(そこにあるものが)浮き上がってゆき、つながり、あるいは、人物名で動く歴史ではなく―要は、「知っていた」はずの歴史の姿ががらりと変わった。おもしろかった。

 本書、第三章「新しい世界史へ」では、これまでにすでに試みられてきた「新しい世界史」に向けての取り組みについて、どこが有効でどこか問題なのかが論じられている。そして「5:関係性と相関性の発見」で触れられる「モノの世界史」と「海域世界」に対する考察は、この『東インド会社とアジアの海』を執筆したことで得たところも多分にあるのだろう。東インド会社とは言ってしまえば「モノ」、アジアの海は「海域世界」に当たり―羽田氏は、「読者として」だけのそれだけでなく、「執筆者として」の自らの経験・反省も踏まえたせたうえで2つの叙述方法の長所や可能性、あるいは留意点を導き出していると思われる。

 『ミネルヴァ世界史叢書』なるものにおれが期待を寄せるのは、『東インド会社とアジアの海』で得た感触も記憶にあったからである。ああいう読書体験ができるのなら、それはもう、よろこんで!


「中心」のイメージと、人体的比喩

 たぶんヨーロッパ中心史観(ないし他の中心史観)、ひいては「中心と周縁」(この周縁には、男性に対する女性とか、国民に対するサバルタンなども含まれる)という構図は、「自と他の区別」がある閾値を越えたり、何かバイアスがかかったようなときに生じる。みたいなものだろうと思う。羽田氏の「中心はいらない」とか「共通性・関連性の重視」という主張におれも概ね同意なのだけど、何かを中心(ないし軸)に据えることでものごとの理解がよくなることも多々ある。
 
 おれ思うに、「中心のイメージを変える」というのは、どうかしら。

 「中心」と聞くと、なんとなく「点」とか「(1本の)線」というイメージがある・・・これを人体に喩えると、脳が中心、みたいな。ひとまず脳を「ヨーロッパ」として続けると、それを相対化するために「イスラーム世界」が右脳として現れ、「ヨーロッパ」は左脳とされる。一方で心臓たる「中国」が中心だと言いはじめ、と思ったら、左心房(左心室)たる「日本」がしゃしゃり出てきて「中国」を右心房(右心室)に追いやる。あるいは、脊髄たる「モンゴル」も声を上げ・・・

 というように、「自と他を区別」して「相違や独自性を強調する」と基本的に、分裂と細分化が進む。その傾向が行き過ぎた挙句、器官たちがそれぞれ対立してしまい血液止めたり、変なホルモン流したりなどお互いにお互いを妨害しはじめたら、人体はうまく機能しなくなる。ひどいと、死ぬ(諸共に)。これが羽田氏の言う、いままでの世界史、もしくは中心のイメージが示す危険性だと言って間違ってはいないだろうと思う。

 「共通性・関連性の重視」という点を鑑みるに、このイメージはやっぱり、そぐわない。では「新しい世界史」にあえて中心を設けるとしたらどんなんだろう?―身体中を隅から隅まで巡っている、血管ではないかと思う。血管のどこか、ではなく、血管そのもの(血管全体)が中心。血管の様相が示しているのは「人体はひとつ」であり、ひいては、「新しい世界史」のこの血管的イメージの中心観が示すのは、「世界はひとつ」だと。*2

 もしくは、細胞。偏在する中心というか。

 ちなみに、耳学問なのだが哲学方面で言うと、この中心のイメージは「フーコー的権力観」にちかいものがあるのかもしれない―「フーコー的権力観」とは「権力の中心を認めず、むしろ社会的な関係の中に権力を見出すという考え方」なのだと、國分功一郎が言っておった。


歴史のフィクション性

 最後にひとつ。歴史はノンフィクションなのか。あるいは、どこまで信用できるのだろうか。

 序章の冒頭で、羽田氏は言う―「歴史には力がある」と。「歴史には、確かに現実を変え、人々に未来を指し示す力がある」と。

 ―現在、歴史学には元気がない。人々に未来を指し示しているようには思えない。むしろ、第二章の2のタイトルのごとく「現状を追認している」。しかし一方で、『三国志』とか『戦国BASARA』のようなゲームが売れたり「歴女」と呼ばれる女性たちが話題になったりすることから、歴史に対する関心が一般人のあいだで萎んだわけではないようだ・・・ではなぜ、歴史学に元気はないのだろう?それには様々な理由が考えられるものの、もっとも大きな原因は「一般の人々が求める歴史像と歴史研究者が生み出す研究成果の間に、無視できないずれが生じているということではないだろうか」―言い換えると、いまの歴史学は「時代にふさわしい過去の見方を提示できていない」と。

 以上のように著者は、「新しい世界史」の必要性について、その出発点を述べていた。

 しかし一般人的な方面から、もう1つべつの点も再考したほうがよいと思う―歴史に力があったときと、いまとでは、歴史の受け取り方に大きなちがいがある。端的に言うと歴史は、少し前まではいわば「ノンフィクション」と捉えられていたかもしれないけれど、いまはむしろ、「ある種のフィクション」と受け止められているように思う。

 実際、著者自身もこの点に触れる見解を述べてはいる。でも、どうも「当たり前のこと」「もはや問題ではないこと」のように語っている。たとえば第4章の5では、「歴史の描き方は、過去を解釈し理解する人の立場によって異なる」と。あるいは、序章から抜粋。

よく言われるように、歴史は、現代に生きる私たちによる過去への問いかけである。自分たちの生きる今を理解し、これから進むべき方向を定めるために、私たちは歴史を必要とする。当然、過去への問いかけもそのときどきで変わってくるはずだ。どういう観点から過去を見るか、過去の何を重要だと捉えるかは、個人や人間集団によって、また時代によって異なる。過去の解釈や理解は、決して普遍ではないし、ただ一通りしかないわけではない。

 おれ思うに、この「(歴史は)決して普遍ではないし、ただ一通りしかないわけではない」という認識こそ、従来の歴史学に元気がなくなった原因ではないかと。本書で言及される「歴史学に元気があったときの例」は、歴史というものに一般人がまだほとんど疑いを挟まなかったときというか、少なくとも「客観的だ」と信じられていた時代の話ではないだろうか。

 いまは、事情がちがう。なぜゲームやドラマ、小説、マンガなどの歴史モノはいまでもユーザーや視聴者、読者を得ることができるのかといえばたぶん、「フィクション」「解釈」だとはじめからわかったうえで接することができるためでもある。「これは、どこまで嘘か本当か」などと余計な神経を使わなくて済み、距離感も掴みやすい。けれど、教科書や歴史学者の書いた歴史の本はというと「これが事実だ」という体で示されるようなもので、反面、こちらは「ここに書かれていることは、嘘か本当か」「何か恣意性があるのではないか」と頭のどこかで斟酌・警戒してしまう。歴史の場合はとくに、タイムマシンなどないから確認できないし、実験もできない、つまり実証できない。これは他人の記憶や思い出に対して「脚色(誇張もしくは矮小化)されているんじゃないの?」とときに、一歩引いて耳傾ける感覚と同じである。

 つまり「歴史の変容性」を、歴史学者(ひいては知識人と呼ばれる人々)は「解釈」という言葉で考えるのかもしれないけれど、一般人的にはむしろ、それが「操作」だと映るところがあると思う。あるいはきっと、「歴史解釈」という言葉自体に「え?」と思う人もいるかもしれない。「歴史って、解釈なんてものが入る余地のない過去の事実、ではなかったのか・・・?」「てか“史実”ってどういう意味なの?」みたいに。

 大きなズレがあるのは、「一般の人々の求める歴史像」と「歴史研究者が生み出す研究成果」とのあいだだけではなく、「歴史というものに対する認識そのもの」のあいだにこそあるのではないだろうかと、思った。


地球市民ならぬ

 はてなダイアリー市民になった。



新しい世界史へ――地球市民のための構想 (岩波新書)

新しい世界史へ――地球市民のための構想 (岩波新書)

*1:米原万里の愛の法則』参照

*2:ただ、このイメージとしての「血管の様相」は実際のところ、流動的だし不定形なものであって、また幾重にもレイヤーが重なり合うものと捉えるべきものだろうと思う。