今週のお題「心に残る映画」― 『善き人のためのソナタ』

 『善き人のためのソナタ』を観たとき、心の内に起こった、静かで、穏やかな感動に奮えて、しばらく呆然としたのを今でも憶えている。観たのは大学に入学したばかりの頃だからかれこれ4年ちかく経っているけれど、あのときの感動や余韻は今も心に残っている。

 この作品は2006年に(日本では2007年に)公開されたドイツ映画で、邦題になっている「善き人のためのソナタ」とは、ロシア革命の立役者レーニンが「この曲を聴いていては、革命をすることはできない」「この曲を本気で聴いた者は、悪い者ではない」と言ったらしい、ベートーヴェン作曲のピアノソナタ「熱情」のことである。


 舞台は1984年、東ベルリン。国家保安省(秘密警察:通称シュタージ)に忠誠を捧げた有能な局員である「静かなるシュタージの権化」のようなヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)は、ある日、反体制の疑いのある劇作家ドライマン(セバスチャン・コッホ)とその同棲相手で舞台女優のクリスタ(マルティナ・ゲテック)の2人を監視することになる。彼はドライマンのアパートの隅々に盗聴器を仕掛け、24時間、徹底した監視を開始する…


 という感じで始まる映画だが、はっきり言ってこれ以上言葉で説明するのは野暮というもの。


 でも少しだけ続ける。


 冒頭から全体に、映像的にはとくべつ目立った起伏があるわけではなく、とても静かに坦々と展開する映画で、しかし、その静かさの性質が物語が進むごとに徐々に変わっていく。序盤ではどこか乾いて、無機質的で、そこはかとなく暗鬱さを漂わせる感じの静かさだったのが、後半では、傍目には静かに見えるが、その裏で相反する力が同じだけの力で引き合い(押し合い)拮抗するようにせめぎあっていて、それがために静かに見える。そういう静かさになっていく。

 当時の東ベルリンの監視社会という点はもちろん、ヴィースラー大尉の変化、葛藤や動揺をはじめ、登場人物それぞれの感情の機微や矜持、行動が、丁寧に細やかに描かれていて、「東ベルリン」とか「秘密警察」と聞いて堅苦しそうだと思う人もいるかもしれないが、まったく、そんなことはない。音楽や詩、ドライマンとその仲間たちの姿、そしてヴィースラー大尉を通して、ささやかに、「芸術とは何なのか」ということにまで促される。

 本編は138分と少し長くとも、途中でだれることなく最後まで目が離せず、それまでのすべての流れが一点に、一気に集約されるラストシーンでは胸が熱くなり、自然と涙がこみ上げてきた。


 この映画に出逢えて本当によかったと思う。


 静かな名作。



善き人のためのソナタ スタンダード・エディション [DVD]

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