A Mysterious Number
3月3日、春の節句。
ヤカンの注ぎ口から白い蒸気が勢いよく噴出した。湯が沸いた。ぺろりと蓋を開け、お湯を注ぐ。うん、カップヌードルはここからが長いね。3分。なにゆえ3分?わかんない。
手持ち無沙汰なので、「1、2、3、4、5、……」としばらく数えていたところ、ふと思った。
“3”って数字、不可思議でない? と。
日頃“3”を使う表現が他の数字に比べてちょっと多い気がしたのである。
3分後、ヌードル食いつつ思いつくままに3付く表現を書き留めてみたところ…
たとえば、「三角関係」「〇〇三部作」「第三者の視点」「光の(色の)の三原色」「三種の神器」「三時のおやつ」「三つ巴」「三権分立」etc.
ことわざ・慣用句・四字熟語なんかだと、「早起きは三文の得」「三々五々」「韋編三絶」「三日坊主」「三人集まれば文殊の知恵」「朝三暮四」「石の上にも三年」「三つ子の魂百まで」「二束三文」「孟母三遷」「三顧の礼」「盗人にも三分の理」「三寒四温」「仏の顔も三度まで」「舌先三寸」「三度目の正直」etc.
テレビではヨーロッパのどこかのサッカー。そういえばハットトリックは3点である。
食後、試みに妹の電子辞書で漢語辞典を開き「一」〜「十」までの熟語を調べてみたところ、やっぱりである。その数、「三」が群を抜いて栄えあるトップであった。ちなみに続くは「一」だった。
これは日本語や日本文化に特有な現象なのだろうか…
それにしても、こうなるとやたら“3”が目につくように気になるようになる。そう、よくあるあれである。あれ。
今まで知らなかったタレントの顔や名前を何かの拍子に認識、その後テレビや雑誌で意識していないにもかかわらず目に入ってきたりする。あるいは、「ねえねえ、あいつのこと気になってんじゃないの〜?」「え?何言っちゃってんの!?ありえないから〜」って言ったにもかかわらずその“あいつ”のことが気になっている自分を発見したりする。これ。
- ウルトラマンは地球で3分間しか活動できない。思えば3分以内で怪獣やっつけるなんてかなり仕事できるやつである。
- 三角関数。sin,cos,tan。懐い。
- 仏教・キリスト教・イスラム教、これらをまとめて世界三大宗教と称す。故に三聖といえば仏陀・キリスト・マホメット。
- やや乱暴だが、円周率はおよそ3。ただしπ(パイ)でごまかせる。
- 孔子曰く「三人行けば、必ずわが師あり」、曾子曰く「われ日に三度、吾が身を省みる」。
- メダルはたいてい、金・銀・銅の3種類。
- ヘーゲルの説いた弁証法は、一つの命題における正(テーゼ)と反(アンチテーゼ)、その二つが止揚(アウフヘーベン)する過程から正と反を超えるないし貫く第3点を、つまり合(ジンテーゼ)を導く論理。
- 太陽系の第3惑星は地球。
面妖である。摩訶不思議な数字である。“3”が謎で不思議で堪らないよ。そんなおれは輾転反側、眠れない夜を数日過ごした。嘘である。
思うに、印象的には、3つにまとめるか3つをまとめるかすると、そこはかとなく据わりの良さ、安定感ないしバランスの良さが生まれる。これは「第三者の視点」だとか「三権分立」だとかを思い浮かべるとわかりやすい。「〇〇三部作」なんてのも、なんとなく収まりが良いように感じる…気がする。
しかし「三角関係」「三つ巴」なんてことになると印象が逆転してしまう。安定感などどこ吹く風、むしろ不安定だ。居心地わるい。がんじがらめ。一筋縄ではいかない。面倒臭い。はずなのだが中国の三国志はけっこうおもろい。
ますます以って、ミステリアス。
ということでちょっと調べてみた。が、わかったことはほとんどない。
<ことわざや慣用句などで使われる「三」という字には、複数性や反復性、持続性、複雑性、あるいは中立性といった意味合いが含まれている>
調べたことをまとめると、なんとも抽象的ではあるが、大体こういうことらしい。
ということは“3”以降の数(量)は、これすべて代名詞的に「三」で表せるとも言えるみたいね。便利ね。
ただね。判明したことは、それは生じているか内包している効果なのであって、おれが気になったのは、なぜ“3”だと上記のような効果や印象を得るのかということである。
カップヌードルの麺や具の具合がちょうど食べごろになり出来上がるのが3分ということはわかったが、なにゆえ3分?わかんない、って感じなのである。
これは、なかなかどうして、難題難問である。「僕はどうして生まれてきたの?」ってくらい謎。
不思議だ。
『The mysterious number is 3』*1