エヴァ、観た、やっと

 いやーついに、やっと、『新世紀エヴァンゲリオン』(TVシリーズ+「Air/まごころを、君に」)を観た。

 ちなみにこのエントリーは、エヴァの感想ではなく、エヴァにまつわる個人的な捉え方や体験を書きます。


 最近は「グランドセオリー」とか「ビッグネーム」と呼べるような人物や作品、思想は特にない。人それぞれに好きなものや興味を抱くものがあって、その対象は細分化・断片化している。それはそれで構わない。てか大きな勢力が出てきたらむしろ警戒するだろう。

 がしかし、たとえば、バイト仲間で飲み会をしたとする。皆それぞれに専門科目があったり今ハマッているものがあったりはするのだけど、その部分を共有しているわけではないから話を続けにくく、膨らませにくい。「これ、おもしろかったよ」と思って話しても、その本なり映画なり漫画なりの粗筋を説明するところから始めなくてはならないことがけっこうあって、その後にやっと本題。もしくはちょいちょい説明を挟む必要があったりする。「こないだサークルでウケたことがあった」という話だとすれば、「ウケたこと」の前提になっていること(サークル内の人間関係とかサークルの活動内容に伴うちょっとした前知識など)を前もって説明しておかないと、話したところで「ウケたこと」=落ちで聴き手はウケナイ、という悲惨な事態が起こる。

 話し手ではなく聴き手の側にまわった場合、その説明の部分が少しでも冗長だったりやたら複雑だったりどーでもよさそうだったりすると、興味・関心を失うことは多々ある。逆に話し手の側にいる場合、相手が聴いているかいないかは相手の様子を見ればけっこうわかるし、相手の様子が芳しくないと、話す気が萎えたり説明を急いだりして話が支離滅裂・曖昧模糊となったりすることもある。

 要するに、皆(周囲の人間のあいだ)で共有しているものが少ない。ゆえに説明が多くなる。あるいは、説明を省くと話が抽象的になりがちになる。会話がはずまない。だから自分と共有しているものが多い人たちと(余計な説明が不要である一方で、外から見るとちょっと排他的な)少数グループを自然と作るようになる。バイトの飲み会の例で言えば、結局はマネージャーだとか客に対する愚痴や不平ばかり口にするようになる。なぜなら、バイト仲間内では「マネージャー」や「客」がどういう人か、ものか、説明しなくてもわかる“共通項”だからだろう。


 ところで、「グランドセオリー」とか「ビッグネーム」みたいな包括的な中心「円」ないし中心「線」はなくても、世の中にはたくさんの「点」がバラバラと点在していて、その中には比較的大きな点もある。つまり皆がそれなりに知っている人物や作品など、共有しているものはちょこちょこ見当たる(そういう「点」を以下「準中心点」と仮に呼ぶ)。今ならたとえば『ONE PIECE』なんかがそれで、ブームの規模が単なる流行(はやり)とは違うレベルだと思われるもの。『ONE PIECE』を読んだことがあるだけで会話のしやすさがぐんと増す。余計な説明が不要になることが多くなるだけでなく、『ONE PIECE』に関係ない話でも『ONE PIECE』にコト寄せて例え話もできるようになる。

 たとえ『ONE PIECE』が好きでなくても、一度でも読んだことがあれば同世代間でのコミュニケーションの糸口が増えるし、同世代でけでなく、少しくらい歳が離れていても年上・年下と接する道具としても使えるようになる。だから比較的大きな「準中心点」というのは、一種の教養みたいなものかもしれない。

 一種の教養とは言っても、「準中心点」は、一般に言う教養に比べれば守備範囲は狭いし、コミュニケーションや思考の道具に過ぎないし、絶対に知っておかなければならないことでもない。しかし手段として人間関係の中である程度広く使えればもう十分であって、あるといろいろな意味で“自分自身が”動きやすくもなる。


 ということで、周囲の人たちが皆一度は観ているらしい『新世紀エヴァンゲリオン』も「準中心点」みたいなものだと、一度観てみようと前々から思っていた。おもしろそうだったし。あと私的なことを言うと、監督の庵野秀明の出身地がおれの出生地のすぐ隣にある市なのだ。

 しかし観るのに躊躇した。エヴァを観た人、ひいてはハマッてる人たちの様子を観るにつけ、いよいよ手を出せなくなった。迷信的になんとなく「聖書読んだらキリシタンになっちゃう」みたいな感じで、エヴァ観たらエヴァ信者になっちゃうんじゃないか・エヴァが頭から離れなくなっちゃうんじゃないか。という恐怖と警戒心でいっぱい、おれは怯えていた。あと長いからちょっとメンドーだった。

 映画館でバイトしているときに『新劇場版:破』が公開された。勤めていた映画館は2日前から座席予約ができたのだが、2日前の時点で500人ほどを収容できる一番大きなスクリーンがほぼ満席。封切り後も、朝から晩まで上映回数が6・7回ある中、どの回も連日満席。加えて前売り券には「エヴァの操縦士」が1人ずつプリントされてあり、それが4種類ほどあった。すなわち来場する客の大部分は(オタクとか熱狂的なファンが多いので)3・4回分のチケットを持っているようだった。もちろんその前売り券は後に客のコレクションとなるため、もぎる際は慎重に、細心の注意を払わなければならない(という指示が上からあった)。あまりの客の熱心さにおれは気圧され、恐れをなし、さらに尻込みした。

 ただ、エヴァを観に来る客たちは実際には質の良い客が多かった。前売り券とかグッズとか座席に対してもっと神経質かと思っていたが案外それほどでもなく、むしろエヴァを観られることが本当に嬉しいらしく、嬉しさ余って従業員に「ありがとうございました」と顔をほころばせながら一言添えてくれる客もよく見受けた。従業員としては彼らへの接客にやりがいさえ感じたものである。(『This is It』のときも客の数がヤバかったが、こっちの客は自分のことしか考えていない客が多く何度となくキレそうになった。MJのファンは質が良くないと一人合点した。)

 ともあれ、本当におったまげたのは、封切り初日の朝一番の回のときだった。おれは上映終了後にスクリーンの出入り口でゴミを受け取る係りとして扉の前に待機していた。上映が完全に終わったのを見計らって、他の従業員が扉を開けた。というかその前に、普通エンドロールが始まった時点で退場する人がちらほらいるものなのだが、そのときは誰一人として出てこなかった。扉が開かれ、照明が点いて明るくなるのとほぼ同時に、場内からなにやら、この場では耳慣れない音が聞こえてきた。すぐにその音は大きくなった。盛大な、鳴り止まぬ拍手の嵐……え?拍手?ここで?いやいやーと思って場内を覗いてみると、目にしたのはなんと、満場スタンディングオベーション!!!?

 映画館であんな光景を見たのは後にも先にもあの時だけだった。

 あの瞬間、躊躇と怯えがピークに達した反面コワいもの見たさの精神がそれを上回り、その後、実は『破』だけは観たのだった。幸か不幸かハマらなかったけども(というか観るタイミングちょっと遅かったかも…)、あれから2年。やっと、エヴァをちゃんと観たのだった。